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社説・コラム

追悼ゴルバチョフ氏 中国新聞社社長 岡畠鉄也 広島への遺言かみしめる

 ロシアの兵士がウクライナの街並みを破壊し尽くす光景を、どんな思いで見ていたのだろう。

 旧ソ連大統領ゴルバチョフ氏の訃報に接し、22年前に交わした分厚い手のぬくもりがよみがえる。同時に、核軍縮に果敢に取り組み、その結果としてこじあけた東西冷戦の重い扉が、後継者たちにより、いとも簡単に踏みにじられ、閉ざされてしまった現実を直視せざるを得ない心情に思いをはせる。

 2000年11月。社会・経済グループ(現報道センター社会担当)に所属していた私は、ゴルバチョフ氏が広島に来るという情報を入手した。既に政界を引退し、環境保全活動に尽力していた。来広もその一環である。

 被爆50年の特集取材班、核兵器を巡る出来事をまとめた「年表ヒロシマ」の編さんなど原爆報道に関わった私にとって、常に頭から離れない疑問があった。「世界にヒロシマの声は届いているのか」。彼はかつて核ボタンを押す権能を持っていた人物である。疑問を解くためインタビューを申し入れた。

 広島市中区の広島国際会議場の一室。彼はやってきた。現役時代に比べふっくらとした印象である。だが、凜(りん)とした目の輝きは変わらない。小さな椅子に身を縮めながら静かに語り出した。

 米軍が広島に原爆を投下した時は14歳。そのニュースに驚愕(きょうがく)し、数年後に見た原爆の悲劇を伝えるドキュメント映画に恐怖心は強まった。それが政治家としてのバックボーンとなり核軍縮、冷戦終結へと踏み切る力になったという。あらためて問うた。「ヒロシマの訴えが影響したということか」。彼は答えた。「もちろんだ。米国のレーガン大統領と核戦争に勝者は現れないことで意見は一致した」。中距離核戦力(INF)全廃という史上初の核兵器廃棄条約に結びついた。

 インタビューを終え握手を求めてきた。手のぬくもりに安堵(あんど)感を覚えた。現役を退いた立場、しかも平和記念公園内での発言だ。リップサービスかもしれない。しかし、関係者から「良いインタビューだった」と彼が語っていたと聞いた。本心だったと信じている。

 ロシアによるウクライナ侵攻の終結は見えない。核軍縮を巡る動きも悪化の一途をたどる。先日まで米ニューヨークの国連本部であった核拡散防止条約(NPT)再検討会議は決裂した。被爆国内でさえも「核共有」の議論が出る。人類は袋小路に迷い込んでしまったようだ。

 インタビューの最後に彼は言った。「ヒロシマの声は今でも世界に響いているし、響き続けなくてはならない」。被爆地の新聞社として遺言をかみしめている。

(2022年9月2日朝刊掲載)

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