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連載・特集

利他を考える <下> 変えてはいけないもの 「無の心で尽くす」理想の生

金峯山(きんぷせん)修験本宗慈眼(じげん)寺(仙台市)住職 塩沼亮潤さん(54)に聞く

人類が手を携える道しるべ

 コロナ禍を経て注目が高まった「利他」は仏教から生まれた言葉。日常の中に取り入れる上で、宗教者の解釈も知っておきたい。連載の2回目は、荒行を経験したことで見えてきたものを僧侶に聞いてみた。(山田祐)

 奈良県の大峯山(おおみねさん)を千日登り下りする荒行「大峯千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を遂げ、大阿闍梨(あじゃり)の称を得た塩沼さん。全国各地での講演や著作で経験を伝える。折に触れて口にするのが「利他」だ。

 利他の教えをシンプルに言うと、無の心で相手に尽くす、ということです。そこに何も欲がない。私利私欲や思惑があると100%の利他にはなりません。人として理想的で美しいと思える生き方って、理屈抜きにそこだと思うんです。

  ≪―千日回峰行を達成したことで、たどり着いた考えなのでしょうか。≫

 道中の大半は山道ですが、ふもとの方はアスファルトで舗装された箇所もあります。雨が降るとその上にミミズが出てくるんです。窒息しそうになって。自力では中に戻れないそうです。

 暑い季節、弱ったミミズを見つけると、拾って土の中へ戻していました。息も絶え絶えで干からびそうになっていれば、水筒の残り少ない水を口に含んでかけてあげました。無意識のうちにです。

 水を与えて土を掘り戻してあげるのに30秒はかかります。道中でその30秒を取り戻すのは本当に大変なことなんです。それでもなぜかやっていたんです。

 自分が見捨ててそのまま通り過ぎたら、せっかく生まれてきた命があと数十分で死んでしまう―。振り返って考えてみると、その事実に突き動かされたのだと思います。そこにあったのは紛れもなく利他の精神でした。

 ≪―生活の中で実践するポイントは何でしょう。≫

 コロナ禍で難しい日々ですが、いつまでも同じ状況が続くわけではありません。精いっぱい毎日最善を尽くして生きていくことだけだと思うんです。

 大切なのは三つ。

 一つは自分が置かれている環境や人とのご縁、すべてにまず感謝をすることです。もう一つは何かあるたびに自分自身を省みること。その心がないと成長はありません。最後の一つは他者への敬意です。

 千日回峰行で私の中に芽生えたのもミミズへの敬意でした。この三つはどれだけ社会が変動しても変えてはいけない、利他の原点とも言えます。

 ≪―僧侶として、その思想をどうやって伝えていきますか。≫

 ことし1月に「ミミズプロジェクト」と銘打った活動を始めました。講演料や番組の出演料、印税から諸経費を除いた全額を、恵まれない子どもたち、ご飯が食べていけない人たちに生涯にわたって寄付します。

 何も考えず、困った人に手を差し伸べる。人として本来のあり方により近づきたいと考えました。お坊さんとして、皆さんの目に見えるかたちでやっていくってことが大事だと思っています。

 誰もが同じことをしなくてはいけないわけではありません。それぞれに生活があります。自分のできる範囲内で何かできることを見つけてほしい。私自身がそういう生き方をすることで、千人中1人にでも影響を与えられるのではないかと思ったんです。

 ≪―広島でもたびたび講演されていますね。≫

 一番初めにご縁があったときには原爆資料館(広島市中区)に足を運びました。人類とは本当に愚かだし、原爆投下はその極みです。展示からそれを突き付けられました。広島のような悲しい出来事は二度と起こしてはいけません。

 身の回りのことを考えてみれば、優しい人もいればそうでない人もいます。他人のことなんかどうでも良いと考える人もいます。関係性が崩れていくと生きづらくもなるでしょう。だからこそ人生は修行なんです。人類がもっと手と手をつないで生きていこうという方向性に向く必要があります。そこで何よりも大切なのが利他の精神です。

広島の書店に特設コーナー

 「利他」をテーマにした本が近年、書店で目を引いている。8月24日に亡くなった京セラ創業者の稲盛和夫さんが利他を語ったエッセーや対談本などもある。

 ジュンク堂書店広島駅前店(広島市南区)は8月下旬から、エスカレーター近くの棚に特設コーナーを設けた。陳列している約10冊は実用書を中心に、料理や経済などジャンルは幅広い。

 売場長の三浦明子さん(46)によると、特にコロナ禍以降、手に取る人が増えたという。「対人の機会が制限される中、人との関わり方を学ぶ上で大切な考え方として注目されている」と話している。

(2022年9月5日朝刊掲載)

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