×

連載・特集

プロ化50年 広響ものがたり 第3部 飛躍のとき <2> 才気あふれる奏者 一線級の入団 次々と

受け継がれゆく楽団愛

 アマチュア演奏家も交じる市民オーケストラとして出発した広響。名匠・秋山和慶さんを音楽監督に迎えて以降は、一線級の演奏家が次々と入団した。そんな才気あふれる楽団員たちが、広響愛を受け継いでいく。

 米ジュリアード音楽院を卒業し、国内外のコンクールで入賞した輝かしい経歴を持つバイオリン奏者の田野倉雅秋さん=東京都。2004年、27歳で広響のコンサートマスターに就任した。卓越した演奏技術で楽団をけん引し、華麗なソロも披露。10年に及んだ秋山さんとの名コンビは、広響ファンに愛された。

 もともとソロ演奏が中心だった田野倉さんにとって、オーケストラは挑戦の場でもあった。「『運命』も『第九』も初めて。広響で全てを教わった」。リハーサル中、後席のベテラン団員から背中をつつかれたことも。「厳しくも温かく指導していただいた。良い楽団を目指すピュアな思いに心打たれ、必死になった」

 間近で見続けた秋山さんのタクト。「クールに振っているようで、ロマンチスト。どんな曲にも意味を見いだし、情感あふれる音楽を紡ぐ」。現在は日本フィルハーモニー交響楽団のソロ・コンサートマスターやソリストとして活躍中だ。「広響は全国の数あるオケの中でも生き生きと演奏している」と誇らしげに語った。

 東京出身の楽団員すら珍しかった1998年。チェロのオーディションに、1人のドイツ人が現れた。彼が醸す音色に、審査する楽団員たちは再度、驚いた。

 急きょ首席チェロ奏者として入団が決まったマーティン・スタンツェライトさん。縁あって訪れた広島にオケがあることを知り、オーディションに参加した。ドイツ南部のバンベルク出身。音楽一家で育ち、エッセン国立音楽大を首席で卒業後、ドイツの楽団で活動していた。

 以来24年、今では広響の顔の一人だ。「音楽を奏でると、言語も文化も関係なく皆が対等になる」。すっかり流ちょうになった日本語で話す。秋山さんのタクトで臨んだ韓国公演(2005年)やポーランド公演(19年)で、改めて実感したという。

 広響のメンバーに呼びかけて結成した室内楽団にも情熱を傾ける。名は「ネリオンカルテット」。77年前、焼け野原に咲き、広島市民を勇気づけたキョウチクトウの花(ネリオン)にちなんだ。昨年は長崎で演奏し、念願のドイツ公演も計画中。「音楽を通じてヒロシマを、母国の子どもたちに伝えたい」

 光り輝くハイヒールでさっそうとステージに登場する姿は広響ファンにおなじみ。2005年に入団した首席ビオラ奏者の安保惠麻さんは、千葉市出身だ。

 東京芸術大卒業後、客演時にリーダーとしての素質を見抜いた秋山さんが首席に抜てきした。当時26歳。経験不足を指摘する声もあったが、「マエストロが背中を押してくれた」と感謝する。

 近年は神奈川フィルハーモニー管弦楽団の客演首席ビオラ奏者も兼任。多忙を極めるが、「観客と一体になったステージは、広響ならではの魅力」。カープファンで始球式に登板したことも。愛車はマツダの赤いロードスターだ。「楽団と観客の距離を近づけるのが私の大切な使命。まだまだこれから」とほほ笑む。

 秋山時代、最後の入団者となったのが大阪出身のトランペット奏者金井晶子さん。17年、一つの空席に全国から71人が挑んだオーディションを突破。広響初の女性トランペット奏者となった。「2度目の挑戦でつかんだ合格。うれしくて」。大阪音楽大大学院1年の時に受けた際は不合格。大阪に鈍行列車で帰りながら悔しさをかみしめ、猛練習を誓った。

 入団して2年目、広響として14年ぶりの海外公演となったポーランド公演に参加。トランペットのパート仲間から「若い人が行くべきだ」と推され、21人の選抜メンバーに入った。「ダイヤの原石を磨くように、育ててもらっている。広響を背負う存在になりたい」(木原由維、西村文)

 連載の感想や広響にまつわる思い出をお寄せください。採用分は今後の連載で紹介します。住所、名前、年齢、電話番号を記入の上、〒730―8677広島市中区土橋町7の1、中国新聞社文化担当「広響プロ化50年」係。メールはbunka@chugoku-np.co.jp 問い合わせは☎082(236)2332。

(2022年9月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ