×

連載・特集

『生きて』 NPO法人「食べて語ろう会」理事長 中本忠子さん(1934年~) <9> 食べて語ろう会誕生

子ども増え食費に困り

  ≪1989年から、定期的に公民館を借りて食事を振る舞うようになった≫

 無償で手料理を振る舞ってきたけど、周囲からは批判の声もあったよ。そこまでする必要ないとか、いずれは刑務所に入るんじゃないかとか露骨に言われたこともある。保護司の中でも、そんなことは仕事じゃないって言われていた。それでも放っておくわけにいかん。うちには子どもも親も来るから、多い時は20人ほど集まった。そこで、公民館を借りてご飯を食べさせるようにした。

 そしたら子どもだけで80人来て「えー、こんなにおるん」て、びっくりした日もあった。でも地域の保護司や更生保護女性会、BBS(更生保護の青年ボランティア)の人たちが協力してくれてね。30年近く活動を続けられた。

 ≪2004年に「食べて語ろう会」を設立≫

 やっぱり困るのはお金のこと。自腹の他に、バザーを開いて食材費を集めた。でも、いよいよどうにもならんようになって広島保護観察所に相談してみたんよ。そしたら、担当の井山俊彦さんは、子どもたちから聞いてうちの活動を知っとったみたい。活動に名前を付けて団体にして助成金をもらうことを提案してくれた。おまけに井山さんが「わしが名前を付けよう」って言ってね。「食べて語ろう会」ができたんです。

 ≪食事を提供するだけでなく、07年ごろには半年間、広島保護観察所から委託されて少年を自宅に住まわせたこともある≫

 中学3年で学校ではボスだったらしく、子分が5人くらいうちに集まるんよ。観察所が委託費を1日2千円くれるけど、光熱費だけで月7万円かかった。1日3回風呂に入るんよ。学校から帰ってすぐと寝る前、朝シャン。そしてよう食べる。

 この子らがうちのことを「ばっちゃん」って呼び始めて、今ではすっかり定着したよね。それまでは「中本さん」や「おばちゃん」だったけど、他の子もみんな呼ぶようになった。この頃の子は、集団暴走とかやることが派手じゃけど、沈んだ子はいなくて明るいけん扱いやすかったね。頭隠して尻隠さずで、うそがつけんの。今の子は携帯ばっかり見て話し掛けても聞いちゃあおらん。

(2022年9月9日朝刊掲載)

年別アーカイブ