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連載・特集

プロ化50年 広響ものがたり 第3部 飛躍のとき <5> つなぐ

「総監督」新たな風吹かす

光る選曲 全国から注目

 2017年春。約20年にわたり広島交響楽団を率いた秋山和慶さんが音楽監督を退任し、28歳年下の下野竜也さんが音楽総監督に就任した。師弟間でつないだバトン。新たな風も吹き始めた。

 下野さんは国内屈指の実力派指揮者として引く手あまたの存在だ。読売日本交響楽団の正指揮者や京都市交響楽団の常任客演指揮者を歴任してきた。それでも「広響からの就任依頼は驚きだった」と下野さんは明かす。オーケストラの看板を背負う音楽監督は自身初めてであり、「しかも秋山先生の後任。悩みに悩んだ」。

 一方、広響側には確信があった。「次のステップに進むためには下野さんしかいない」と事務局長の井形健児さんは考えていた。下野さんは駆け出しだった2001年以来、広響の定期演奏会の客演を楽団最多の9回務めていた。的確な指示に基づく緻密な音楽づくりが、楽団員から「また彼のタクトで演奏したい」と厚い信頼を集めた。

 師と仰ぐ秋山さんの「下野君であれば安心して任せられる」との言葉に後押しされ、就任要請を引き受けた。そして楽団に深く関わる決意を込め、「総」の一文字を肩書に加えた。

 交代劇の2年前―。クラシックの殿堂、東京・サントリーホールでの広響公演は、チケットが早々に完売するほど注目を集めた。広響の活動理念「音楽で平和を」に賛同した世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチさんが秋山さんの指揮のもとに協演した「平和の夕べ」コンサート。「秋山さんの就任以来高まった広響の知名度が、さらに上がった」。日本オーケストラ連盟(東京)専務理事の桑原浩さんは回顧する。

 そして今、全国の熱心な音楽ファンは、下野広響が「どんな演奏をみせるのか」と興味津々という。桑原さんは演奏内容の充実ぶりに加え、個性が光る選曲に着目。集客が見込める「運命」「新世界から」といった名曲に安住せず、前衛的な現代曲を組み込む。桑原さんは「東京や大阪のオケ以上に積極的な選曲」と評する。

 その真骨頂の定演が今年5月に広島市であった。選曲は、知る人ぞ知るフィンランドの現代作曲家ライサネンの「ポータル」。マリンバ奏者の最後の一音とともに、楽団員が手にしたピンポン球を一斉に落下させるという異色の場面が登場し、客席に笑顔と拍手が広がった。後半はブルックナーの交響曲第7番。下野さんのタクトが荘厳な音楽世界を構築していく。

 リハーサル風景に変化も生まれている。下野さんは就任3年目のインタビューで、「欧州のオケのようだなと感じることがあり、楽しい」と心境を語った。指揮者の指示を待つのではなく、「自分はこう弾きたいという主張が、楽団員から伝わってくるようになった。もっと一緒に音楽をつくっていきたい」―。

 下野さんの理想を実現する要となるコンサートマスターは現在2人体制。一人は客員として招くベテランの三上亮さん。もう一人は、楽団史上初めてオーディションで選ばれた蔵川瑠美さんだ。

 大阪府出身。東京芸術大を卒業後、日本センチュリー交響楽団(大阪府)のアシスタントコンサートマスターを経て、14年に27歳で広響に入団した。

 通常、コンマスは楽団がスカウトで採用する。「自分たちでリーダーを選びたい」という楽団員の声を受け、全国的にも数少ないオーディションが実現した。

 1歳男児の母親。育児休業を経て、今年4月に復帰した。多忙な日々だが、コンマスとしての技量と感性を磨くことに怠りはない。「オケは多彩な個性の集まり。それが複雑に絡み合って成り立っている。今、コンマスとして何を求められているのか、その時々でやるべきことを果たしたい」

 下野さんは今年3月で当初の5年間の任期を終え、2年間の延長に入っている。「仕上げのミッションに全力を尽くす。目を閉じていても『あっ、広響だ』と感じられる響きを目指したい」(西村文、木原由維) =第3部おわり

下野竜也(しもの・たつや)
 1969年、鹿児島市生まれ。鹿児島大を卒業後、桐朋学園大音楽学部付属指揮教室で学ぶ。99~2001年、ウィーン国立音楽大に留学。00年に東京国際音楽コンクール、翌年にフランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。17年から広響音楽総監督。

(2022年9月10日朝刊掲載)

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