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社説・コラム

『書評』 大田堯の生涯と教育の探求 上野浩道、田嶋一編 思想と実践 足跡たどる

 「啐啄(そったく)同時」という禅語がある。ひな鳥が自らのくちばしで卵の内からつつくタイミングに合わせて、親鳥も外側からつつき、ひなが生まれ出るのを助けるという意味だ。

 広島県本郷町(現三原市)出身の教育研究者、大田堯(たかし)はこの言葉をしばしば引用したという。上から教え諭すのではなく、一人ひとりの力を引き出す「エデュケーション」の大切さを説いた。

 大田が100歳の生涯を終えて間もなく4年。「教育とは何か」を共に問い続けてきた仲間や若い世代の研究者たちが、その思想と実践の全体像を、人生の足跡と著作から丹念にたどった労作である。

 いわゆる「講壇教育学」と一線を画した大田の教育思想は、波瀾(はらん)万丈の人生と深く関わっているという。

 原点となったのが、旧制広島高校時代に出合った「民衆教育の父」ペスタロッチの教育理念への共感とともに、一兵卒として従軍した戦争体験だった。広島での被爆を免れたものの、南方戦線に向かう途中、輸送船が攻撃を受けて沈没。九死に一生を得て上陸したセレベス島(スラウェシ島)で守備隊の任務に就き、農村出身の兵士や住民たちの生きざまに接する。

 戦後、東京大の研究室に戻ると、郷里の本郷町をはじめ各地の地域教育計画に加わり、「山びこ学校」をはじめとする生活綴方(つづりかた)との巡り合いを機に、地域に暮らす民衆の子育て文化の発掘へと、裾野を広げていった。

 一方、家永教科書裁判との関わりを通じ「学習は生きることに直接つながっている」との確信を深め、基本的人権としての学習権を提起。「ちがう・かかわる・かわる」という生命の特徴を切り口として、人々との出会いと対話を重ねながら、環境問題や障害者福祉にもまなざしを注いだ。

 本郷駅前の所有地を寄贈して「ほんごう子ども図書館」が開館した2001年以来、評者も折に触れて大田と対話する機会を得た。「願わくば、この世界の、核を含むあらゆる武器を棄却、ひたすら人民(ピープル)自治による平和な社会を望みます」。最後の著「百歳の遺言」に記された言葉が、いま胸に刺さる。(山内雅弥・広島大副理事)

東京大学出版会・4180円

(2022年9月11日朝刊掲載)

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