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社説・コラム

『想』 田中全義(たなかぜんぎ) 大仏様の里帰り

 よく、ここまでたどりついたものだ。奈良県安堵(あんど)町にあるわが極楽寺の本尊、阿弥陀如来坐像(ざぞう)をこの夏、原爆ドーム近くのおりづるタワー(広島市中区)で一般公開した。阿弥陀さまはかつて広島市内の寺に安置され、市民から「広島大仏」として愛されていたと知ったのは2011年。以来、「里帰り」を実現したいと願っていた。

 寺の先々代住職だった祖父から「広島にあった仏さま」と聞いていた。文献に当たり、専門家に見てもらい広島大仏だと分かった。広島県北部から戦後、広島市中心部の寺へ、さらに別の寺に渡り、ほどなく行方不明になったとか。そこから里帰りに向けた取り組みを開始。とはいえ一筋縄ではいかない。広島を訪れ、協力を呼びかけたが反応ははかばかしくない。無理もない。広島大仏と言って分かる人はほとんどいなかった。

 手元に大仏関連の写真が何枚もあり、いくつか印象深いカットがある。被爆数年後に迎えた大仏を牛に引かせて本通りを練り歩く1枚。新たに建てた堂の前に人々が並ぶ記念写真…。原爆で家族や財産を失った人、健康を損ねた人もいただろう。そんな人たちが大仏のおかげで笑っている。やり通そうと何度も気を取り直した。

 動き始めたのは20年。真言宗の寺や門徒の集まりで頼まれて大仏の話をしたら、広島で1日だけ公開しようとなった。この時は新型コロナウイルスの影響で断念したが、ことしになって大きく動いた。地元企業経営者の方々からの協力の申し出だった。広島マツダの松田哲也会長をトップとする実行委員会が、広島で大仏を公開するためクラウドファンディングで資金を集めてくれたのだ。

 7月1日に公開を始め、原爆の日には宗派を超えた仏教徒が集い、原爆平和法要を営んだ。会場を訪れた人たちの中に被爆した91歳の女性がいた。悲しいとき、苦しいときに大仏さまに向かい手を合わせていた、心のよりどころにしていたという。

 多くの人に支えていただいた里帰り。感謝の思いでいっぱいである。(極楽寺住職)

(2022年9月11日朝刊セレクト掲載)

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