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[考 国葬] 成城大教授 森暢平氏 透ける 保守派への配慮

 葬儀は共同体の一体感を確認する意味もあり、それを国全体に広げたのが「国葬」だ。だが、ボーダーレス社会の現代では、国の概念を形づくる「輪郭」そのものが曖昧になっている。今、国葬を行うことには、かなり無理がある。

 戦前では1943年、戦死した山本五十六・連合艦隊司令長官が国葬に付された。皇族や華族以外では初めてだった。当時の国民から尊敬の念を集め、一体感が高まった側面がある。

 戦後の国葬は、政治家では67年の吉田茂元首相だけだった。戦争を経験した人たちが戦後22年を経て、復興した日本を見たとき「これを成し遂げたのも吉田元首相のおかげだ」と感慨にふけった面もあったのだろう。国葬によって国民が戦争と復興の記憶を共有した。当時は国民の一体感を醸成する素地があった。

 前回の国葬から55年。人々の意識は多様化し、ライフスタイルも個別化した。国家的な一体感は、五輪やサッカーのサッカーワールドカップのときだけの一時的な感情に変わった。国民全体を一つの方向に向けることは難しくなっている。

 吉田氏の国葬では、政府は官公庁の早退・一部休業や、民間企業、学校の午後からの休みを要請したが、今回は見送った。岸田政権が「国葬は国民一人一人に弔意を求めるものではない」とあえて強調するのも「国民全体の国葬」が成り立ち得ない実態を感じているからではないか。

 なぜ今国葬なのか。日本国という共同体全体のためではなく、安倍晋三元首相に近い保守勢力への配慮という自民党内の事情が透けてみえる。現に安倍氏の功績をたたえ、国葬が当然と主張しているのは、一部の保守系メディアだけではないだろうか。

 その結果、国葬が党派性を帯びることになってしまった。少なくとも国権の最高機関である国会に何も相談せずに決めるべきではなかった。内閣の決定だけでできるという論理を振り回すのは乱暴だ。政治のプロセスとして間違っている。

 大正期でさえ、国葬を決定する前、帝国議会の各会派代表を招集して、事前に了解を得る手続きを踏んでいた。昭和に入っての吉田氏国葬も、時の佐藤栄作首相の意を受けた園田直衆院副議長が閣議決定の前に野党への根回しをしていた。

 国会議員は「永田町の論理」で政治の方向性を決めると指摘される。岸田首相の場合は「平河町の論理」ではないか。その町にある自民党本部の事情を第一にしているように思える。首相の言葉の裏に「私の判断は間違っていない」との自信を感じる。それが、国民をしらけさせているのではないか。(聞き手は中川雅晴)

もり・ようへい
 64年埼玉県生まれ。京都大文学部卒。毎日新聞で皇室などを担当。退職後、国際大大学院国際関係学研究科修士課程修了。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、17年から成城大文芸学部教授。専門はメディア史。

(2022年9月15日朝刊掲載)

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