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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅳ <1> 臨時帝国議会 日清開戦 広島に仮議事堂

 広島県庁本館(広島市中区基町)の東側、道路を挟んだ少し奥に目立たない説明板がある。明治27(1894)年7月に日清戦争が始まり、臨時帝国議会の仮議事堂がこの辺りに仮設された、と記してある。

 宇品港が整備され、山陽鉄道が開通直後の広島は出兵基地になる。同年9月には広島城内の第五師団司令部に大本営が移され、2階が明治天皇の御座所になった。政府は広島での臨時帝国議会の召集を決め、突貫工事で仮議事堂を建てた。

 異例の召集には訳があった。政府と民党(野党)の対立で当時、議会の機能はまひしていた。挙国一致を唱えて内政を立て直すのに、国内臨戦地の広島は格好の舞台だった。

 明治23(90)年に開会した「万機公論ニ決ス」はずの帝国議会は抗争の場と化した。数に勝る民党は軍事費削減を迫って藩閥政府と激突し、天皇の介入でやっと収拾する。不平等条約の改正交渉が本格化すると、今度は排外的な対外強硬派が多数を占めて打倒政府を叫んだ。

 追い詰められた第2次伊藤博文内閣は明治26(93)年12月と27年6月、立て続けに衆院を解散した。憲法停止状態に陥る瀬戸際だった。

 その頃、農民反乱が起きた朝鮮に清が軍隊を送った。日本もすぐに対抗して出兵した。内政混乱で日本は出兵どころではない、との清の読み違いが結果的に開戦危機を招く。

 臨時帝国議会の開催で広島は臨時首都となった。戒厳令が敷かれる中、貴族院と衆議院の議員500人余が参集。明治27年10月18日朝、仮議事堂周辺は見物の人波で埋まる。天皇臨席の下で開院式があった。

 日清戦争に必要な1億5千万円の臨時軍事費予算案を衆議院、貴族院とも即日、満場一致で可決。衆議院は挙国一致と軍備拡張で日清戦争を遂行するための建議案を可決し、予定より3日短い4日間で閉会した。

 倒閣を叫んでいた対外強硬派が一転、戦争完遂に向け内閣支持をこぞって表明。戦時ナショナリズム高揚の効果は劇的だった。

 日清戦争により、島国日本は大陸への膨張政策にかじを切った。その後は戦争が戦争を招く循環の果てに、アジアを巻き込んだ壊滅的な敗戦となる。(山城滋特別編集委員)

 臨時帝国議会仮議事堂 西練兵場の一角に明治27年9月28日着工。貴族院、衆議院議場が入る木造平屋2350平方メートルが10月14日に完成。建築費3万2千円余。併設の御便殿は比治山に移され原爆で全壊した。

(2022年9月20日朝刊掲載)

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