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[被爆建物を歩く] 万休寺の本堂(広島市東区) 爆風で壊れた梁 伝え残す

 山門をくぐって最初に目に付いたのは、本堂の縁の下のガラスケース。中には直径約25センチ、長さ約2メートルのひび割れた丸太のような木材が収められている。

 浄土真宗大谷派万休寺(広島市東区)の前住職、寺川正伸さん(77)が「爆風で壊れた屋根裏の梁(はり)です」と説明してくれた。この山門と本堂、そして庫裏が被爆建物として広島市のリストに登録されている。

 1945年7月、旧中山村の万休寺に旧陸軍船舶司令部(暁部隊)が駐屯を始めた。8月6日、広島に原爆が投下された。爆心地から約4・6キロの本堂は、瓦がはがれ、屋根の一部に穴が開いた。

 市内から押し寄せるように、けが人が村に避難してきたが次々と息絶えたという。「広島原爆戦災誌」によると、村内で亡くなった約130人の合同葬儀が9月に万休寺で営まれた。被爆時は生後3カ月だった寺川さんにその記憶はない。当時住職だった父も、体験を語りたがらなかった。

 寺川さんが当時の惨状を痛感したのは、被爆時の建材を再利用しながら傾いた本堂の修繕工事を施した98年のこと。屋根裏の梁が、ひび割れたり折れたりしていた。「太くて頑丈な木が、爆心地からこれほど離れた場所でも破壊されたとは…」。工事の際、ガラスケースを据え付けた。何とか伝え残そうと、自ら凝らした工夫である。(湯浅梨奈)

(2022年9月19日朝刊掲載)

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