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18日国葬のエリザベス英女王 69年前 呉で戴冠を祝賀 駐留の英連邦軍

見物する市民の写真も

 19日にロンドンで国葬が執り行われるエリザベス英女王が69年前、女王就任の戴冠式に臨んだ際、呉市には朝鮮戦争派遣軍として英連邦軍が駐留しており、呼応した祝賀式が現在の市民広場(幸町)で開かれた。パレードの様子や見物する市民を記録した写真が残っており、郷土史研究者は「呉との歴史的な縁を思い起こす機会にもなり得る」と話す。(道面雅量)

 1953年6月2日発行の中国新聞夕刊は、「英連邦軍も祝賀式」という見出しで呉発の記事を1面に掲載。同日に英本国であった戴冠式に合わせ、観兵式のスタイルで英国、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの各国将兵が行進し、当時の呉市長夫妻や広島大学長夫妻たちが来賓として出席したことを伝える。写真も掲載した。

 呉市史編さんに携わり、「英連邦軍の日本進駐と展開」の著書もある千田武志・広島国際大客員教授は「会場は当時、アンザック・パークと呼ばれた今の市民広場」と解説する。アンザックはオーストラリアとニュージーランドの合同軍を意味する語。呉市は当時、日本に駐留する英連邦軍の中心拠点だったという。

 日本は前年の52年に独立を回復したが、英連邦軍は進駐(占領)軍から性格を変え、50年に始まった朝鮮戦争(53年休戦)派遣軍の後方部隊としてとどまっていた。千田さんによると、占領期に比べて市民との親善にいっそう力を入れ、その影響で呉市の家庭にクリスマスパーティーが普及するなどした。

 元広島市立大学長の藤本黎時(れいじ)さん(90)は、54~56年に呉市の広高に勤務した当時、「広地区にいた英連邦軍兵士が運動会などにやってきて、生徒とバスケットボールの試合をした。音楽を通じた交流もあり、とても友好的だった」と記憶をたどる。

 英連邦軍は56年に撤退した。千田さんは「駐留軍と呉市民との間にはさまざまなあつれきもあった」とした上で、英女王の国葬が「呉の特色ある戦後史に、あらためて目を向けるきっかけにもなれば」と願う。

(2022年9月18日朝刊掲載)

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