[考 国葬] 慶応大教授 片山杜秀氏 政権安定へ権威付けか
22年9月20日
死者をあがめ奉ることで国が団結する、というような「未熟な近代」のような精神を日本は克服してきたはずだが、そこに回帰しているように思う。
岸田文雄首相は安倍晋三元首相の国葬について「暴力に屈せず、民主主義を守り抜く決意を示すため」と説明している。それだけでなく、安倍氏に礼を尽くすことで正統な継承者だと印象付け、政権の安定を図る思惑もあるのではないか。
私には政権が「権力」と「権威」を独占する動きに見える。日本では、例外的な時代もあるが、権威は主に天皇や朝廷が担ってきた。戦後、歴代の政権が吉田茂元首相以外の国葬を避けたのも、天皇と同格の国葬を「おそれ多い」とする感覚があったためだろう。
だが、いまの上皇さまは民主的な価値観を尊重し、権威を誇示しない姿勢を示した。これに呼応するかのように、政権の側が「俺たちが権威を担おう」との衝動に駆られた。私はこれを「将軍的欲望」と呼ぶ。
徳川幕府がその典型だ。家康を「東照大権現」として神格化し、権力と権威を独占した。これは不安の裏返しでもある。源氏が興した鎌倉幕府が北条家に支配され、室町時代が内乱の世となった歴史を教訓に、政権の安定には権威が不可欠と考えたのだろう。
岸田氏も政権基盤が盤石ではない。カリスマ性のあった安倍氏を国葬で遇すれば、ご加護があると考えたとしても不思議ではない。
もっとも、政治家に権威を求めるムードは国民の間にもある。以前は「日本は首相がころころ代わっても、経済力があり、官僚も一流だから大丈夫」と言われていた。だが、国が下り坂になり、自信を失った国民は「日本はすごい」と思わせてくれる強いリーダーを支持するようになった。
結果責任より、主要国の首脳と何十回会ったといった「頑張る姿」の方が評価され、カリスマ性を高める。国民が政権のパフォーマンスに拍手喝采し、不都合な事実から目を背けるのはファシズムの特徴だ。
安倍氏の国葬を巡り、批判も高まっている。民主主義のチェック機能が働いたとも言えるが、最も響いたのは世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題だろう。日本を韓国より下に見る教団と関係の深かった安倍氏に「裏切られた」という動揺が、反対論に向かったとみられる。ただ、安倍氏が国葬にふさわしいか否かは、事の本質ではない。
誰かを権威に祭り上げて国民を束ねるのは民主的でない、という戦後民主主義の着地点を見失っていないか。本来、政治家は権威を背負わなくてもいい。課題に対処し、失敗すれば責任を取ればいいだけの話。そうした理性を取り戻せるか、ファシズムに流されるか、岐路にあると言える。(聞き手は馬場洋太)
かたやま・もりひで
63年仙台市生まれ。慶応大大学院後期博士課程単位取得退学。同大法学部教授(政治思想史)の傍ら、音楽評論家としても活躍。「未完のファシズム」「平成精神史」「皇国史観」など著書多数。20年に三原市芸術文化センターポポロ館長に就任。茨城県在住。
(2022年9月17日朝刊掲載)
岸田文雄首相は安倍晋三元首相の国葬について「暴力に屈せず、民主主義を守り抜く決意を示すため」と説明している。それだけでなく、安倍氏に礼を尽くすことで正統な継承者だと印象付け、政権の安定を図る思惑もあるのではないか。
私には政権が「権力」と「権威」を独占する動きに見える。日本では、例外的な時代もあるが、権威は主に天皇や朝廷が担ってきた。戦後、歴代の政権が吉田茂元首相以外の国葬を避けたのも、天皇と同格の国葬を「おそれ多い」とする感覚があったためだろう。
だが、いまの上皇さまは民主的な価値観を尊重し、権威を誇示しない姿勢を示した。これに呼応するかのように、政権の側が「俺たちが権威を担おう」との衝動に駆られた。私はこれを「将軍的欲望」と呼ぶ。
徳川幕府がその典型だ。家康を「東照大権現」として神格化し、権力と権威を独占した。これは不安の裏返しでもある。源氏が興した鎌倉幕府が北条家に支配され、室町時代が内乱の世となった歴史を教訓に、政権の安定には権威が不可欠と考えたのだろう。
岸田氏も政権基盤が盤石ではない。カリスマ性のあった安倍氏を国葬で遇すれば、ご加護があると考えたとしても不思議ではない。
もっとも、政治家に権威を求めるムードは国民の間にもある。以前は「日本は首相がころころ代わっても、経済力があり、官僚も一流だから大丈夫」と言われていた。だが、国が下り坂になり、自信を失った国民は「日本はすごい」と思わせてくれる強いリーダーを支持するようになった。
結果責任より、主要国の首脳と何十回会ったといった「頑張る姿」の方が評価され、カリスマ性を高める。国民が政権のパフォーマンスに拍手喝采し、不都合な事実から目を背けるのはファシズムの特徴だ。
安倍氏の国葬を巡り、批判も高まっている。民主主義のチェック機能が働いたとも言えるが、最も響いたのは世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題だろう。日本を韓国より下に見る教団と関係の深かった安倍氏に「裏切られた」という動揺が、反対論に向かったとみられる。ただ、安倍氏が国葬にふさわしいか否かは、事の本質ではない。
誰かを権威に祭り上げて国民を束ねるのは民主的でない、という戦後民主主義の着地点を見失っていないか。本来、政治家は権威を背負わなくてもいい。課題に対処し、失敗すれば責任を取ればいいだけの話。そうした理性を取り戻せるか、ファシズムに流されるか、岐路にあると言える。(聞き手は馬場洋太)
かたやま・もりひで
63年仙台市生まれ。慶応大大学院後期博士課程単位取得退学。同大法学部教授(政治思想史)の傍ら、音楽評論家としても活躍。「未完のファシズム」「平成精神史」「皇国史観」など著書多数。20年に三原市芸術文化センターポポロ館長に就任。茨城県在住。
(2022年9月17日朝刊掲載)