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社説・コラム

天風録 『森冨茂雄さんの鉛筆画』

 少年時代の遊び場だった広島県産業奨励館、今の原爆ドーム近くで思い出に浸っていると、修学旅行生の声が聞こえてきたらしい。「ここが公園でよかった。たくさんの人が死なずに済んだ」と▲そうじゃない、大勢住んでいた町が一遍にこうなったんじゃ…。口達者ではない森冨茂雄さんが代わりに鉛筆を持ち、ありし日の町並みを描き始めたのは還暦過ぎ。戦後半世紀が近づいた頃だった。一周忌を前に今月いっぱい、平和記念公園のレストハウスで鉛筆画が並んでいる▲アニメ映画「この世界の片隅に」の下地になった絵としても知られる。監督の片渕須直(すなお)さんがうなった、生き生きとした筆致のヒントらしきものが画面の端々にのぞく▲〈一粒三百米(メートル)〉と書いた飴(あめ)菓子の看板、墓地には〈バナナの木〉の添え書き。勝手知ったる「ご近所」感覚が、時代の息吹を絵にもたらすのだろう。路地どころか、時には屋根伝いに駆け回ったという。原爆は、そんな家々の上空でさく裂し、森冨さんは父や弟たち5人を失った▲台風一過のきのう、平和公園に修学旅行生とおぼしい一団が見えた。いまだロシアのウクライナ侵略がやまぬ戦争の秋、どんな声が漏れるだろうか。

(2022年9月21日朝刊掲載)

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