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連載・特集

緑地帯 岩崎文人 文学ノート残滴②

 劇作家、演出家で原爆ドーム世界遺産化推進委員でもあった村井志摩子は、1928年、呉市で生まれ、2歳のとき広島市に移り、県立広島第一高等女学校を経て、45年4月、東京女子大学に入学している。8月6日、数カ月前に別れた大勢の級友たちが亡くなった時、村井は東京にいた。「あの原爆が落ちる瞬間、あの町にいなかった」(「レトナ通りにて」)という負い目、罪意識が村井の劇作、演出の根幹にあるといってよい。

 代表作「広島の女」は第1部「広島の女 その一」(上演タイトルは「8月6日」)、第2部「その二」(上演タイトルは「閃光(せんこう)はおまえの耳のただ中で」)、第3部「その三 ビラはふる」の三部作で、それぞれ独立した女の一人芝居である。喜寿を迎えた被爆女性、初老の女、戦後育ちの女と世代を異にした<広島の女>がそれぞれの広島を語るという構成になっている。ここでも、「作・演出者として」(「広島の女」広島県民文化センターホール上演パンフレット)の中で「あの日のことを、たずねることにもこだわりがあった。わたしは、そこにいなかったのだから」と記している。第3部「ビラはふる」は、そこにいた峠三吉の詩「一九五〇年の八月六日」の歌曲が場内に流れ、「孤児」である<広島の女>の独白が始まる。広島での非合法平和集会が開催された日、福屋百貨店の「五階の窓 六階の窓」からビラがまかれた日である。ここにはあの日にいなかった村井と被爆者との連帯がある。

 村井志摩子の名刺には、広島の女上演委員会とあり、自宅マンションの住所が記されていた。(ふくやま文学館館長=広島市)

(2022年9月16日朝刊掲載)

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