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連載・特集

緑地帯 岩崎文人 文学ノート残滴④

 井伏鱒二ほど郷土を愛し、郷土を舞台とする作品を多く残した作家もまた珍しい。随筆「在所言葉」には「私の生れ在所は、備後加茂村大字粟根である」と字名を明記し、「郷里風土記」には番地まで記している。随筆はまだしも、歴史小説「武州鉢形城」を読み進めていくと突然「私の郷里は備後の深安郡加茂町粟根だが」という行文を目にすることになる。しかも、実在の人物の中に郷土の地名に由来する架空の人物「百谷」金太夫、「北山」民部を紛れ込ませ活躍させてもいる。

 このように故郷を愛した井伏だが、郷土に文学碑を建てることは固く辞退していた。井伏文学を愛好する郷土加茂の人たちが幾度も東京荻窪の井伏邸を訪れ、文学碑の話をされたが、許可を得ることはできず、生家近くの四川に「井伏鱒二文学碑」(于武陵の漢詩「勧酒」と井伏の口語訳「このさかづきをうけてくれ/どうぞなみなみつがしておくれ/はなにあらしのたとへもあるぞ/さよならだけが人生だ」が刻されている)が節代夫人の許しを得たような形で建立されたのは、井伏の死後1995年11月のことである。

 井伏はまさに慎み深い人であった。生き方もそうであったが文学もやはりそうであった。

 井伏の釣り随想「川釣り」の「まえがき」第1行は「私は釣りが好きだが釣りの技術に拙劣である」であり、巻頭詩「渓流」第1連第1行は「今日はさっぱりつれない」である。釣りの随筆は、釣果を誇るもの、自慢話が一般であるが、この釣り随想は、そのほとんどが釣れなかった話に終始している。(ふくやま文学館館長=広島市)

(2022年9月20日朝刊掲載)

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