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連載・特集

緑地帯 岩崎文人 文学ノート残滴⑥

 「夕日」(ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む)、「とんび」(飛べ飛べとんび 空高く)の作詞者葛原しげるは福山市神辺町で生まれているが、実に多才の人であった。

 広島県立福山中学校を経て、1904年4月、東京高等師範学校(現筑波大学)英語科に入学した年葛原は、日露戦争で兄を失うが、翌年この兄の死を題材にして「楠原しげ子」名で「女学世界」に投稿した「戦死」(投稿時題「士官の兄様」)が1等入選となり、賞金30円を得ている。同校卒業後、東京の九段精華学校教師になるとともに博文館の雑誌「小学生」の創刊、編集に携わる。このころから、博文館発行の雑誌に多くの童謡を発表する。第1童謡集「白兎と木馬」の刊行は、22年。

 今日では波多野完治の完訳で読むことができるジュール・ヴェルヌ原作「十五少年漂流記」(新潮文庫)も、葛原はすでに早く23年に「十五少年絶島探検」(博文館)という題で刊行している。また、父が福山市鞆の出身で、「春の海」で知られる作曲家・筝曲家宮城道雄を世に送り出すことに尽力したのも葛原である。

 戦後は帰郷し、46年、福山市新市町に創設された至誠高等女学校(現戸手高等学校)の校長に就任し、60年まで教育界に身を置いた。

 葛原のモットーは、「子どもはいつもニコニコ笑顔でピンピンしていてほしい」であり、みずからもそう願い「ニコピン翁」と称し、周囲からは「ニコピン先生」と呼ばれた。37年には「ニコピンかるた」(武井武雄画 鈴木仁成堂)が作られている。 (ふくやま文学館館長=広島市)

(2022年9月22日朝刊掲載)

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