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[考 国葬] 日本被団協代表委員 箕牧智之氏 核政策落胆 賛成できぬ

 安倍晋三元首相とは、広島市が毎年8月6日の平和記念式典後に開く「被爆者代表から要望を聞く会」で2019年と20年に、顔を合わせた。言葉を交わす機会はほとんどなく人柄は分からないが、銃撃で亡くなったのは大変気の毒だ。あってはならないことだ。ただ、核兵器廃絶を訴え続けてきた被爆者としては、核政策では何度もがっかりさせられた。

 安倍さんが2度目の政権を担った7年8カ月の間、核兵器を巡る大きな動きがあった。その一つが、16年5月のオバマ米大統領(当時)の広島訪問だ。現職の米大統領としては初の訪問だった。演説内容は具体策が乏しく、物足りなさもあったが、訪問後にオバマ政権が核兵器の先制不使用政策を検討していると聞き、廃絶の前進に期待した。

 しかし、日本が反対したと報道され、先制不使用宣言は見送られた。核兵器を先に使わないのは当たり前なのに、日本が「唯一の戦争被爆国」を名乗りながら反対するのはおかしな話だと腹が立った。

 17年7月に国連で採択された核兵器禁止条約も大きな節目だった。被爆者にとって悲願とも言える条約だ。私は交渉会議に合わせて渡米し、国連本部で会議を傍聴し、各国の代表にも会った。廃絶への熱気を感じたが、日本政府は交渉に参加すらせず、落差を感じた。122カ国・地域の賛成で採択された後も、早々に批准しないと明言した。

 安倍さんは平和記念式典のあいさつで禁止条約に言及しなかった。「要望を聞く会」では2度とも批准を直接訴えたが、正面から答えてもらえなかった。米国の「核の傘」に頼りきりで、物が言えないのだと感じた。

 首相退任後の今年2月の「核共有」政策の議論を求める発言もショックだった。日本に米国の核兵器を置いたり、使ったりするなら「非核三原則」に反する。そんなことを平気で言ってしまうのかと驚いた。

 私は3歳の時、広島駅(現広島市南区)に勤めていた父を捜す母に連れられて入市被爆した。当時暮らしていた飯室村(現安佐北区)にもボロボロに傷ついたけが人が逃れてきたのを幼心に覚えている。広島では1945年末までに約14万人が亡くなったとされるが、実態は不明で、身元が分からないまま葬られた人も多い。たくさんの子どもが命を絶たれたことを忘れてはならない。

 こんなことは、広島と長崎で最後にしなくてはいけない。その被爆者の願いに、安倍さんは耳を傾けてくれなかったと感じる。安倍さんの核政策は、被爆者の願いとは懸け離れていた。長期政権の評価は分かれ、国葬自体の賛否も世論が割れている。私はやはり、国葬に賛成できない。(聞き手は明知隼二)

みまき・としゆき
 42年東京都生まれ。45年3月の東京大空襲を経験後、父親の故郷の広島県に疎開し、入市被爆した。99年から旧豊平町議、北広島町議を各2期務めた。06年から北広島町原爆被害者の会会長。故坪井直さんの後任として21年11月に県被団協理事長、22年6月に日本被団協代表委員に就いた。

(2022年9月26日朝刊掲載)

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