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連載・特集

緑地帯 岩崎文人 文学ノート残滴⑦

 少しばかり前のことになるが、雑誌「サライ」(2006年7月6日号)が「もう一度口ずさみたい唱歌」を特集し、唱歌・童謡29曲を収録したCDをとじ込み付録としたことがある。その中の一曲に、三原市出身の武内俊子作詞の「かもめの水兵さん」(キングレコード、1937年4月リリース。作曲河村光陽)が選ばれている。この曲は、ハワイ旅行する俊子の叔父を見送るために行った横浜港メリケン波止場での光景がもとになったと伝えられている。それ以前の童謡とは比較にならないほどの大ヒットになり、戦後は小学校の音楽の教科書に採択もされ、多くの子どもたちに愛誦(あいしょう)された。

 「かもめの水兵さん」の顕彰碑は、横浜市山下公園、三原市宮浦公園、作曲した河村光陽の出身地福岡県福智町にある。わたしはまだ訪れていないが、2017年3月に俊子が生まれた三原市浄念寺に新しく「かもめの水兵さん」の歌碑が建立されている。

 野口雨情に見いだされ、「赤い帽子・白い帽子」「リンゴのヒトリゴト」「船頭さん」と多くのこどもたち・人々を魅了した俊子であったが、彼女もまた戦時下を生きた詩人でもあった。

 たとえば、現在歌われている「船頭さん」2番の歌詞は、「雨の降る日も岸から岸へ/ぬれて船こぐおじいさん/今朝もかわいい仔馬を二匹/向う牧場へ乗せてった/ソレ ギツチラギツチラギツチラコ」(峰田明彦補作)であるが、1、2行目は同じでも、俊子原作3、4行目は「今日も渡しでお馬が通る」「あれは戦地へ行くお馬」であった。(ふくやま文学館館長=広島市)

(2022年9月23日朝刊掲載)

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