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連載・特集

モルドバ大使からの報告 片山芳宏 <4> 外交官への夢を追って

憧れと孤独抱えて勉強

 私ももちろん、ごく普通の広島の少年でした。地元で試験を受けて入った大学では、好きな英語の勉強を続けたくて、英語読書会というサークルに所属し、京都ライフも楽しみました。

 将来のことを考え始めていた大学2回生の時、とあるきっかけから、試験に合格すれば外務省に入れることを知りました。ただ、試験科目の中には憲法や国際法など未知の科目があるうえ、一般教養によるふるい分けも厳しいと聞きました。競争率は15倍前後。外交官という職業は、自分にとってはるか遠い夢に思えました。

 それでも、熟考を重ねた末、サークルの部長を1年間務め終えた後の3回生の9月、その夢を追いかけるため私は文字通りゼロから勉強を始めました。

 朝9時の開館時に教科書などを抱えて大学の図書館に入り、夜9時の閉館数分前に退出して、徒歩で下宿に戻るという生活を1年間続けました。授業はどうしても必要な科目しか出席せず、食事は全て学食でした。

 帰省前に手続きを行い、夏期休暇中は広島市佐伯区の実家から、当時は中区にあった広島大の図書館にバスで毎日通い、最後の追い込みの勉強をしました。受験勉強を後押ししてくれたのは、何といっても外交官への大きな憧れであり、そして、外務省に入れば2年間与えられるという語学留学への淡い期待感でした。

 一方、私には勉強方法について、あるいは外務省での仕事などについて助言をもらえるような人もいなかったので、実のところは、さまざまな試行錯誤を繰り返す孤独の中で悩み続けながらの受験準備でした。憧れと孤独を抱えた日々が報われたのは1979年秋のことでした。

 さて、現実の外交の現場は、こんな受験勉強よりもずっと厳しいものです。様々な分野の交渉、通訳業務、邦人援護活動、そして土台となる語学力―。どの業務も知識と経験が不可欠です。そして何よりも「最後までやり抜く」との気概が必要です。

 任務を完遂するためには、自らの能力を高めるための不断の努力と、世の中の変化に従って常に表れる新たな課題に果敢に挑んで行く姿勢が求められます。

 思い返すと、これまで担当した仕事はどれも興味深く、真剣に取り組んでこられたことを幸運と感じています。国際会議で議長役を務めることや米国大統領と接する機会ができたことなど、まったく想像さえできなかったことをたくさん経験できました。これも、試行錯誤と孤独の中でも決して途中であきらめず、自らの夢を追い続けたことで実現できたものです。

 世界にはさまざまな国々があり、そして、異なる文化の中でいろんな人々が暮らしています。外交官という職業に限らず、特に若いみなさんは、将来に向けて、この広い世界で活躍していただきたいと願っています。

かたやま・よしひろ
 1957年、広島市佐伯区生まれ。廿日市高校を経て立命館大経済学部卒。80年外務省入省。ルーマニア、米ニューヨーク、ウクライナ、ケニアなどの大使館、総領事館で勤務。外務本省では地球環境問題や海賊対策を含めた海洋問題なども担当した。2020年2月から現職。被爆2世。

(2020年11月22日朝刊セレクト掲載)

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