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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅳ <6> 仮面政徒 党利党略 民党が保守相乗り

 第1回帝国議会を乗り切った山県有朋は首相を辞め、薩摩の松方正義に交代した。民党(自由、改進党)は第2回議会では手加減しない。軍備拡張と開発主体の予算に反対し、地租軽減による民力休養を求めた。

 正面衝突の末、明治24(1891)年12月に初の解散となる。明治25(92)年2月の総選挙で、品川弥二郎内務大臣らは警官や官吏を動員して激烈な選挙干渉を行った。

 この選挙で岡山県選出の現職坂田丈平が、小田県時代に民権運動の同志だった医師の窪田次郎に立候補を勧めた。県会議長時代に国会開設運動に取り組んだ坂田だが、この頃は与党の大成会に所属している。

 窪田は粟根村(現福山市加茂町)の農民実態に基づく地租軽減の訴えを県当局に封殺され、医業に専念して十数年。坂田に書を返す。政争に明け暮れる者の「度量の短小と観測の浅近」を批判し、「どうして仮面政徒の奴隷になれようか」と。現実政治への絶望感の表明だった。

 総選挙の結果、民党系が引き続き過半数を占めた。第2次伊藤博文内閣が発足し、衆議院は軍拡予算を巡りまた紛糾する。内廷費や文武官の俸給の一部を軍艦建造に充てるとの明治天皇の詔勅が出て収拾した。

 予算を巡る激突は一段落し、自由党は伊藤内閣との提携を深めた。明治26(93)年夏からは、陸奥宗光外務大臣が進める不平等条約の改正を巡る外交問題が争点になる。

 英国との交渉が順調に推移する中、議会の保守派は条約改正に猛反対した。不平等条項の撤廃と引き換えに外国人が内地雑居し、欧米資本が全土に広がるのを恐れる対外強硬的な主張。一種の攘夷(じょうい)論だった。

 そこに民党少数派の改進党が、不平等条約下で外国人への制限を厳格化すべきとの現行条約励行論を唱えた。実質的な対外強硬派への転換である。首領の大隈重信が外相時代、改進党は内地雑居を含む条約改正を支持していた。政府に接近する自由党に対抗するため、党利党略を優先した保守派との相乗りだった。

 「万機公論ニ決スベシ」を夢見た窪田はかつて、下から民意を吸い上げる議会構想をまとめた。その窪田が言う「仮面政徒」に他ならない民党の変節だった。(山城滋)

現行条約励行論
 外国人の居留と通商を横浜、神戸などの居留地に限定していた現行条約を厳格に守れとの主張。実態として緩和されていた外国人活動を厳しくすることは排外的な内地雑居反対論と同根だった。

(2022年9月27日朝刊掲載)

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