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社説・コラム

国民分断 禍根残した 論説主幹 宮崎智三

 国民の半数を超す反対や疑問の声に、政府が正面から向き合わないまま、安倍晋三元首相の「国葬」が27日に営まれた。

 多くの国民は、いつもと変わらぬ一日を過ごしたのではないか。国葬を冷ややかに見たり、強行されたとさえいえる事態に怒りを覚えたりした人も、いるかもしれない。

 熟慮を欠いた岸田文雄首相の判断が、国葬反対の声を強め、賛否を巡って国民の分断を深めた。その責任は重い。

 むろん弔意の表明自体まで否定するつもりはない。通算8年8カ月という憲政史上最長の首相在任期間や卑劣な銃撃に倒れたことを考えれば、政府として何らかの追悼は必要だろう。

 しかし、なぜ近年の多くの首相経験者と同じ、内閣と自民党の合同葬ではなかったのか。国葬にした理由として、岸田首相は経済再生や外交面での功績などを挙げた。ただ、どれも特別扱いする理由としては説得力に乏しい。

 何より問題なのは、国葬に関する明確な法的根拠がないことだ。国会に賛意を問うという手続きすら踏んでいない。国権の最高機関である国会の軽視は、民主主義を軽んじることでもある。後出しで膨らんだ経費を含め、納得できない国民が増えるのも当然だろう。

 国葬の基準を設けなかったことで、禍根も残した。その時々の政権が独自の判断で国葬の対象者を選べることに道を開いた。恣意(しい)的な判断を認めるような今回の対応は無責任過ぎる。

 特別扱いが許される理由があるとしたら、参院選の街頭演説で非業の死を遂げたことしかなかろう。ただ、背景にある世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係の徹底的な調査が前提でなければ、国民の理解は広がるまい。

 その点を含めて、安倍氏の功罪を冷静に検証する覚悟がないなら、岸田首相には国葬をする資格がなかったと断ぜざるを得ない。

(2022年9月28日朝刊掲載)

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