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連載・特集

変わる都市像 呉市制120年 <2> 産業

工廠の技 製造業けん引

競争の荒波 迎えた岐路

 呉市昭和町にレトロな赤れんがの工場がそびえ立つ。明治期に呉海軍工廠(こうしょう)造兵部第九工場として建設され、壁面には戦中に受けた機銃掃射の跡も残る。現在、ダイクレグループ(呉市)が主力の鉄製品のさびを防ぐため、亜鉛メッキ加工をする工場として使う。

 戦後、神戸製鋼所呉工場に用いられ、1987年の閉鎖に伴いダイクレが買い取った。決断したのは当時の山本耕(つとむ)社長。創業者で父の茂さんは呉海軍工廠の技術者で、戦艦大和の建造の現場責任者を務めた。現社長の山本貴さん(60)は「創業者への思いもあっての決断だったろう。今もこの工場を使えることは誇り」と語る。

民間に払い下げ

 呉海軍工廠は、兵器を製造する造兵廠と造船廠を合併し、03年に生まれた巨大な軍需工場。最盛期の44年には約9万7千人が働いていたという資料がある。呉は終戦まで「東洋一の軍港」と呼ばれた。

 終戦後の50年、旧軍港市転換法が成立。軍用資産を民間に払い下げたり、技術を継承したりした。呉市でも海軍工廠の遺産が引き継がれ、造船や鉄鋼などの製造業が盛んに。戦後の復興をけん引した。

 航空機などを造った広海軍工廠があった広地区も、民間の工業地帯となった。LPガス容器製造の中国工業も本社を置く。海軍人だった花田卓夫さんが50年に創立。現社長の野村実也(まこと)さん(76)は「全国に先駆けてガス容器の生産を始めたから、トップシェアを獲得できた」。市内に本社を構える唯一の上場企業へと成長した。

観光や医療 注目

 市内には造船や製材、製紙などの事業拠点もあり、重厚長大型の産業が主力を担ってきた。2019年度の市内の総生産額に占める製造業の割合は40・1%で、県全体の25・2%を大きく上回る。

 一方で、世界的な競争激化や環境規制の波は呉にも押し寄せ、曲がり角を迎えた企業もある。日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区は来年9月末をめどに閉鎖する方針。三菱重工業呉工場は本年度で火力発電施設のボイラー製造を終える。市内の神田造船所は新造船から撤退して修繕事業を新会社に引き継ぎ、常石グループ(福山市)に入った。

 呉市の将来を切り開く上で、産業構造の転換は急務だ。市は観光や遊休不動産の活用、医療・福祉分野の製品開発などに注目し、事業者間の連携促進や、新組織の設立へ動きを強めている。(東谷和平)

(2022年9月28日朝刊掲載)

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