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連載・特集

モルドバ大使からの報告 片山芳宏 <16> 外交を支える通訳業務

冷静な黒子に 準備徹底

 2年間のルーマニア語研修を終え、1983年7月に現地大使館で新米外交官として働き始めました。日本からの来訪者のサポートをはじめ、さまざまな機会で通訳業務も担いました。

 もちろん最初からうまくはいきません。有能な通訳者になるには語学力の向上は当たり前。場数を踏んで経験を積むことも重要です。駆け出しの通訳担当者として失敗と反省を繰り返しながらも毎回、前向きに取り組みました。

 その後も長い外交官生活の中で、数多くの通訳業務を経験してきました。国家元首の通訳を初めて務めたのは84年4月。ルーマニアのチャウシェスク大統領を、福田赳夫元首相が訪れた際でした。大役を前に不安を覚えた私は先輩からの助言を思い出し、会談の2週間前から毎日朝晩、大統領演説集などの音読を続けて備え、無事に大舞台を終えました。

 2度目のルーマニア駐在期間中の97年7月には、コンスタンティネスク大統領の訪日の際、日本に出張しました。橋本龍太郎首相との首脳会談冒頭、相手側通訳の能力を見取った担当課長から「片山君、両方やってくれ。」との指示を受け、私は全力で双方向通訳を務めました。

 また、ウクライナの日本大使館で参事官を務め、次第にロシア語での会話に慣れてきていた2006年の年末にはルーマニアへの出張を命ぜられました。私は2週間前の現地入りを求め、首都ブカレスト到着後はルーマニア語の感覚を取り戻すべく終日音読を続けました。こうして、翌07年1月の麻生太郎外相の同国訪問時、バセスク大統領らとの会談で通訳者の役割を果たしました。

 通訳業務とひと言でいっても、内容は実にさまざま。友好的な会談もあれば、意見が激しく対立する厳しい交渉もあります。そのような役割に臨むための心構えとしては、事前にとにかく徹底的に勉強して準備すること、外交儀礼や社会常識を十分に踏まえた表現を使うこと、そして、誰にも聞き取りやすい明瞭な声で話し、常に冷静に黒子役に徹することなどがあると思います。

 通訳者という役割を通じて、各界の著名人や専門家とじかに接することができ、たくさんのことを学べたのは幸運でした。そして、天皇陛下と皇族の皆さま方による国際交流のお手伝いをわずかでもさせていただけたことを心から光栄と感じています。

 外務省で働く、40カ国語を超える言語の通訳者たちは、国内最強の語学専門家集団です。各言語の背景にある歴史や文化にも精通した通訳者たちは日々研さんを続けながら、日本の外交活動をしっかりと支えています。私もその一員としていまも、必要があれば十分な準備をして通訳業務に臨む姿勢を堅持しています。(肩書はいずれも当時)

かたやま・よしひろ
 1957年、広島市佐伯区生まれ。廿日市高校を経て立命館大経済学部卒。80年外務省入省。ルーマニア、米ニューヨーク、ウクライナ、ケニアなどの大使館、総領事館で勤務。外務本省では地球環境問題や海賊対策を含めた海洋問題なども担当した。2020年2月から現職。

(2021年11月28日朝刊セレクト掲載)

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