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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅳ <14> 閔妃暗殺 露の影響力排除を狙い暴発

 露仏独の三国干渉に屈して日本が遼東半島を清に返還すると、朝鮮の政治情勢も変動を来す。内政の近代化を急がせていた日本の威信は地に落ち、国王の妻閔妃(ミンピ)を中心にした親ロシア派が台頭した。

 当時のソウル駐在公使は元外務大臣の井上馨。日清戦争中の明治27(1894)年10月に赴任し、宮中と政治の分離など政府全般の改革を進めた。日清の講和条約で「独立自主の国」と位置づけた朝鮮を、実質保護国化する勢いだった。

 ところが三国干渉で武力の裏付けが失われると、国王夫妻や反日勢力はロシアに急接近する。反日・反開化派の蜂起農民を殺りくした日本軍への反感も背景にあった。

 日本政府は積極干渉策の中止を決め、失意の井上は朝鮮を去る。代わって明治28(95)年9月、陸軍中将の三浦梧楼(ごろう)が公使に着任した。井上と同じ長州出身だが軍では反主流派の国権主義者。政府から朝鮮政策の方針を示されないまま赴任した。

 自分で自由にやるほかないと三浦は思った。森有礼(ありのり)文部大臣暗殺の黒幕と疑われたこともある武断派である。ロシアの影響力をそぐには閔妃暗殺しかないとの結論に至る。

 国王実父の大院君によるクーデターの形を取ろうと、三浦は岡本柳之助を大院君に接近させた。首都兵士反乱の竹橋事件で部下を制止せず官職追放された岡本は、同じ紀伊出身の陸奥宗光外相の肝いりで朝鮮政府の宮内、軍事顧問になっていた。

 王妃の暗殺は、日本勢力の急失速に憤激する民間日本人に委ねた。公の関与を避けるためである。10月8日未明、岡本や民間日本人が大院君を連れ出して景福宮に向かう。光化門から侵入し、日本軍守備隊に率いられた抜刀の日本人が乱入。奥の宮殿で閔妃を殺害した。

 常軌を逸した蛮行を、王宮内で米国人とロシア人が目撃していた。当然、国際問題となる。日本政府は三浦公使はじめ官、軍、民の容疑者たちの本国送還を決めた。

 送還船計3便は同月24日以降、宇品港に着いた。似島検疫所の風呂から出たところで三浦たちは謀殺などの容疑で逮捕され、軍関係を除く48人が吉島監獄(現広島刑務所)に収容された。(山城滋)

 暗殺に関わった日本人 邦字紙の漢城新報の社員や商店主、「朝鮮浪人」たち30人余りで、彼らは壮士と呼ばれた。閔妃を斬殺し、遺体を庭で焼いたとされる。閔妃の捜索には日本兵も加わった。

(2022年10月7日朝刊掲載)

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