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平和を発信 決意新たに カトリック広島司教区 来年5月創立100周年

順次祝賀行事 被爆地での歩み語る

 中国地方5県を管轄するカトリック広島司教区(広島市中区)が、来年5月の創立100周年に向けて、祝賀行事を進めている。この1年間で順次、各地でミサや講演会を開く。白浜満司教は「被爆地広島に拠点を置く司教区として、社会に平和を発信する役割を担い続ける」と決意を新たにしている。(山田祐)

 9月18日午前、米子市のカトリック米子教会に地元の信徒たち約150人が集まった。広島司教区創立100周年を祝う1年間のスタートと位置付ける日曜日の定例ミサだ。広島市から白浜司教も駆け付け、ともに聖書の一節や祈りの言葉を唱和した。

 白浜司教は「信仰生活の旅路には苦しみや困難があるが、嵐の中でもイエスさまをしっかりと迎えるならば、なぎとなって目的地に到達することができます」と語り掛けた。

 広島司教区の前身である広島代牧区が設立されたのは1923年。当初の拠点は岡山に置き、信徒は1309人だった。39年に拠点を広島に移し、6年後に原爆が投下される。

 被爆の惨状の中で懸命に負傷者の看護にあたったのが、安佐南区の長束修練院(現長束修道院)の神父たちだった。院長だった故ペドロ・アルペ神父を中心に、約200人を受け入れて手当てしたという。100周年史編さん委員会メンバーで信徒の竹内秀晃さん(50)は「助けを求めてきた人は、皆受け入れたそうです」と話す。

 その後、広島司教区は平和活動を主軸に据える。幟町教会(中区)で被爆した神父たちが国内外から寄付を募り、原爆犠牲者の慰霊の思いを込めて世界平和記念聖堂を建設。2度にわたりローマ教皇の来訪を受け、平和の尊さを世界に発信した。

 「平和の実現のため、司教区内の約2万人の信徒とともに今後も歩みます」と白浜司教。100周年に絡めて、来年4月29日に山口サビエル記念聖堂(山口市)である再建25周年ミサを関連行事とする。9月18日にある世界平和記念聖堂でのミサで祝賀の1年間を締めくくる。

核兵器廃絶訴え続ける■一人一人の心に寄り添う

白浜司教 節目への思い

 100年の節目を祝う1年が始まりました。導いてくださった神に感謝すると同時に、社会のために何ができるのかを考えて次の歩みにつなげる。その方策をしっかり考えるための期間とします。

 広島司教区として何よりも大切にしてきたのが、平和を願い発信を続けることです。核兵器使用による悲劇が2度と繰り返されないように、被爆地広島を抱える司教区として私たちが声を上げ続ける必要があると、歴代の神父や信徒たちで長年共有してきました。

 これまでに2人の教皇が広島に来られました。2回も訪問を受けた司教区は世界にあまりありません。

 まずは1981年2月25日、教皇ヨハネ・パウロ2世です。平和記念公園(中区)での「戦争は人間のしわざです」から始まる「平和アピール」で、人間は戦争を避け平和を築ける―というメッセージをくださいました。

 続いて2019年11月24日、教皇フランシスコは核兵器の使用のみならず保有についても「倫理に反する」と強く訴えられました。

 すでに司教に着任していた私は、スピーチを終えた教皇に呼び掛けられました。緊張のあまり内容はまったく分かりませんでしたが、「平和のために働きなさい」と言われたように直感しました。その感覚は今でも大切にしています。翌年から長崎大司教区などと連携して「核なき世界基金」を始めたのも、教皇の来訪を受けてのことです。

 一方で、教会として社会のためにどれだけ貢献できているのかというと、今は足りていないと思っています。心の平穏を求める人を温かく迎えるのは当然ですが、それを超えた積極的な発信が必要です。

 新約聖書のマタイ福音書に「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」との言葉があります。神の子として生きる上で、平和を追求することがいかに大切かを説いた言葉です。

 戦争反対、核兵器廃絶を各国家に訴えることも続けていきますが、目を向けるべきは一人一人の心です。ロシアによるウクライナ侵攻も、結局はそれを命じた為政者や支持する人々の心の問題です。あらゆる人の心に平和が宿っていることが大切です。それを訴えることは、キリスト教として社会に貢献できる部分だと思っています。

(2022年10月10日朝刊掲載)

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