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連載・特集

次代の呉へ今こそ変革 市制施行120周年記念講演会

 呉市制施行120周年を記念した講演会「脱炭素社会におけるものづくり」(同実行委員会主催)が2日、呉市の呉信用金庫ホールであった。NHK記者として広島放送局呉通信部で勤務した経験のあるジャーナリスト池上彰さんが、約1500人を前に講演。社会情勢が不安定な今だからこそ、変革へのチャンスがあると指摘した。呉市の新原芳明市長と呉商工会議所の神津善三朗会頭を交えたパネルディスカッションでは、中国新聞の岩崎誠特別論説委員の進行で、旧呉海軍工廠(こうしょう)から続く技術の継承や、産業構造の転換について議論を深めた。(文中敬称略)

燃料の高騰で脱炭素にかじ

ジャーナリスト 池上彰さん

 NHK時代の1976~79年に呉で勤務し、警察署を回る前に喫茶店でコーヒーを飲んで一日が始まっていた。取材で回っていた瀬戸内海の島々などが全て合併した。「呉市音戸町」「呉市川尻町」なんて聞くと、今でも違和感を覚えてしまう。

 その頃はオイルショック後の造船不況が深刻だった。呉の経済も落ち込んで「さあどうしようか」という話ばかり。当時あった日新製鋼やバブコック日立などの企業も名前が変わった。大きく産業構造が変わりつつある。

 新型コロナウイルスのような感染症によって、人の意識や体制が大きく変わった歴史がある。ロシアによるウクライナ侵攻も簡単には終わらない。でも、ピンチがチャンスになることはあり得る。

 石油や天然ガスの値段が上がることで、風力や太陽光発電などの再生可能エネルギーがコスト面で競争力を持つ。「脱炭素にかじを切らなければいけない」となってくる。小麦が高騰しているが、日本にはコメがあるから何とかなる。食料安全保障にも力を入れ、危機を乗り越えていく。

 100年後、今の私たちはどう評価されるのか。呉の子どもが歴史の勉強で、「コロナやウクライナ侵攻をきっかけに脱炭素へ経済を変え、デジタル化社会を実現し、食料の安全保障を大事にするようになり、大きく発展した」と学ぶことができるのか。今の生き方や働き方にかかっている。

いけがみ・あきら

 1950年、長野県生まれ。73年にNHK入局。記者として松江、呉勤務を経て、報道局社会部や「週刊こどもニュース」のキャスターを務めた。2005年に独立し、ジャーナリストとして活動。東京工業大、名城大などの教壇にも立つ。

戦前からの技術・精神 礎に

官民一体で挑戦後押し/問われる現場の工夫

呉市 新原芳明市長

呉商工会議所 神津善三朗会頭

ものづくり

 岩崎 旧海軍工廠の歴史を土台とした、呉のものづくりへの評価を聞かせてください。

 新原 戦前は世界最先端の兵器をつくり、戦後は鉄鋼やパルプなどが中心となった。今はジェットエンジンや自動車の部品、万年筆のインク、ハンバーガーを包む紙なども製造されており、新しい分野も発展している。

 神津 海軍時代の技術が残り、生きていくためにそれを活用しようとした。われわれの会社(中国化薬)も工廠に勤めていた人が起こした。呉のグレーチング(側溝のふた)製造会社も、創業者は戦艦大和の技術者。「ものづくりはひとづくり」の精神が発展の礎となった。

 池上 東京のホテルニューオータニには回転レストランがあり、技術陣が着目したのが戦艦大和の主砲台。あれだけ重いものをぐるっと回せる技術を参考にしてつくった。中国やイランの回転レストランは、がたがた揺れて酔ってしまう。戦艦大和の技術が平和的に利用されていることを知った。

 実は今のロシアが一番困っているのが経済制裁による半導体不足。ロシア兵はウクライナで洗濯機や冷蔵庫を持って帰り、中にある半導体を取り出そうとしている。新たな兵器をつくれず、間もなく「弾切れ」になる。今の世界では優れた半導体をつくれるかで国力が決まる。呉には半導体製造装置メーカーが製造拠点を置いている。世界に誇っていい街だ。

産業構造の転換

 岩崎 重厚長大型産業で発展した呉も、産業構造の転換が迫られている。どう捉えていますか。

 神津 私が大卒後に入社した当時の旭化成は、繊維が中心だった。今は化学全般を扱う企業に発展したように、世の流れによって産業の在り方は変わる。日本製鉄が来年9月末をめどに呉から撤退するのも、世界的な競争の中で苦渋の決断だったと思う。産業構造の転換は容易ではない。行政の力を借りながら跡地利用や雇用の問題を解決し、地域が発展してほしい。

 新原 呉には福祉・看護系の大学、病院がたくさんある。現場のニーズをくみ取り、ものづくりの会社と一緒に商品開発をする動きが出てきた。市としては中小企業・小規模企業振興基本条例を作った。事業承継や脱炭素に向けた取り組みを進めている。起業家支援のプロジェクトもあり、若者や女性のチャレンジを後押ししている。

 池上 中小企業って小回りが利くんですよね。例えば韓国は財閥が力を持つが、中小は日本に比べて少ない。小回りの利くメリットは多い。

 産業構造の転換には、各企業が持つ技術の再点検が重要になる。例えば富士フイルム。デジタルカメラが普及した後、フィルムの技術を使って何かできないかと考えて、化粧品の会社として生き延びた。一方、米国のコダックはデジタルカメラを開発しようとしたが、経営陣が「フィルムが売れなくなる」と言って研究が止まった結果、倒産してしまった。

 企業はさまざまな技術を蓄積しているはず。再点検によって新しいものが生まれるのではないか。駄目だと思った技術も思わぬ使い方ができるんだという観点が必要となる。

脱炭素に向けて

 岩崎 100年後から見たときのキーワードが脱炭素。行政、民間でどんな取り組みが進みますか。

 新原 市内にも熱心な企業がある。洋上風力発電施設をつくる船の建造や、鉄筋コンクリートの代わりに木材で大きな建物を建てたり、バイオマス発電を普及したり…。国が2050年までに温室効果ガスを実質ゼロにすることを目標とする中、事業者と共にできることがあれば進めていく。

 神津 地球温暖化による災害が発生し、呉も西日本豪雨で大きな被害を受けた。人類が生き延びるためにやらなければいけないこと。発光ダイオード(LED)化による電力消費の削減など、自ら考えて実行することが大事になる。

 池上 現場の創意工夫こそ求められている。なぜロシア軍がウクライナで苦戦しているかというと、上から言われたことしかやってはいけない官僚組織だったソ連の軍の伝統を引き継いでいるから。将校がいなくなると何もできない。ウクライナ軍はばらばらになってもそれぞれが戦い続けられる。戦争とまちおこしは異なるが、これがとても大事だ。

 それともう一つ。女性が能力を発揮することが非常に大切。妻が言うには、おしゃれな食器ほど洗いづらく、これは家事をしたことがない男性の作だろう、と怒っていた。本日も、なぜ壇上の4人が全て男性なんでしょうか。130、140、150周年の時、少なくとも半分は女性になっていればと思う。

しんはら・よしあけ
 1950年、呉市生まれ。72年に旧大蔵省入り。広島国税局直税部長や在フランス大使館参事官、富山県副知事、造幣局理事長などを歴任。2017年に呉市長に初当選し、21年に再選を果たした。

こうづ・ぜんさぶろう
 1940年、山梨県生まれ。63年に旭化成工業(現旭化成)に入社。77年に中国化薬に入社し、副社長、社長、会長を歴任。2011年から呉商工会議所会頭を務める。

 この講演会のまとめは上木崇達、仁科裕成、写真は高橋洋史が担当しました。

(2022年10月13日朝刊掲載)

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