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社説・コラム

社説 鉄道150年 存在意義 見つめ直そう

 150年前のきょう、日本の鉄道が初めて開業した。明治政府が文明開化の一環として1872年に新橋―横浜間に初めて列車を走らせた記念日だ。

 鉄道が日本の近代化に果たした役割は大きい。当初は英国の力を借りたが短い間に鉄道技術が育ち、各地に延びた鉄路は日本人の暮らしを変えた。

 移動の利便性だけではない。各地で鉄道の駅を核とした新たなまちづくりが進み、沿線も開発された。また遠距離の旅行という消費文化も根付いた。

 ただ時代を追い、陰の部分も色濃くなる。戦後の高度成長期から高速道路や飛行機との競合が進み、時に「時代遅れ」とのそしりも受けた。負けじと新幹線網が拡大する一方で歯止めなき人口減と高齢化、地方の疲弊が生活路線の乗客減を招く。

 加えて新型コロナウイルス禍は鉄道経営に打撃を与え、JR各社が都市部の収益を赤字路線に回す手法は行き詰まりつつある。1987年の国鉄分割民営化以降、赤字ローカル線全体の存廃を巡る議論が初めて本格化したのも時代の流れだろう。国土交通省が関与する形で、来年度にも自治体も交えた存廃協議の場が設けられる見通しだ。

 状況によっては国費の投入も想定されるが、全てを今のまま維持するのは難しいかもしれない。結論を出す前に見つめ直したいのが公共インフラとしての鉄道の存在意義である。

 これまでは国も自治体も「当事者ではない」と議論を避けてきた面もある。鉄道は誰のもので、何のためにあるのか。地域社会でどんな役割を担い、誰が支えるべきなのか。住民のほか沿線の企業、教育機関なども交え、論じ合っておくべきだ。

 おのずと国鉄民営化の功罪も問い直されよう。企業経営の視点からは収益と効率化が優先されがちだ。安全対策が後回しになったための重大事故や、速さを追い求めてドル箱の東海道新幹線の収益をリニア建設に投じる現状などが頭に浮かぶ。

 現在の鉄道経営のスキームがずっと続くとも限るまい。150年の歴史を振り返れば官営化と民営化の流れが数十年ごとに繰り返されたことが分かる。

 明治初期は政府直営だったが私鉄参入が相次ぐ。例えば現在の山陽線も明治期に山陽鉄道が建設した。日露戦争に勝利した後、政府は軍事輸送もにらんで鉄道の国有化を断行する。

 戦時体制を経て戦後は公社としての国鉄に移行するが、採算度外視の路線の拡大や37兆円の債務を生んだ放漫経営が厳しく問われ、7社への分割民営化に至る。それから35年。少なくとも路線の維持においては新たな方法論も必要ではないか。

 福島県内の豪雨禍で11年にわたって一部が不通だった只見線が今月、全線開通した。復旧区間は自治体が線路や駅舎を保有し、JR東日本が運行する「上下分離方式」である。絶景で名高い観光路線だけに地域の理解も得られたのだろう。

 もう一つ考えておきたいのは脱炭素の潮流である。温室効果ガスの排出が比較的、小さい鉄道貨物の役割は再評価に値しよう。新幹線の物流への活用を唱える意見も出始めている。

 紆余(うよ)曲折を経て日本の鉄道は再び転機を迎えた。中長期的な展望を持ち、持続可能な鉄路のありようを考え続けたい。

(2022年10月14日朝刊掲載)

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