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ひとは福祉会理事長・寺尾文尚さんを悼む 共生社会へ実践 いちずに 安芸高田発 作業所や催し

 見せてもらったノートには知的障害のある子どもたちからの手紙がびっしり貼ってあった。文字を眺めては、引っ込み思案な性格を奮い立たせたという。「飾り気のない言葉で一生懸命、何かを訴えている。福祉の現場が受け止めて社会へ発信していかんと」。誰もが共に暮らせる社会をいちずに目指し、実践した。

 寺尾文尚(ぶんしょう)さんが理事長を務めた社会福祉法人ひとは福祉会は、安芸高田市向原町にある。私は2015年、現地支局に赴任した。初めて活動を取材した時、新鮮な開放感を覚えた。「仲間」と呼んだ知的障害者たちが絵を描くアトリエは道路に面し、気軽に制作風景に触れることができた。法人直営の古民家カフェやジェラートアイス店の扉を開けると、接客や製造にいそしむ仲間の姿があった。個々の顔が見え、地域に溶け込む光景を、寺尾さんは追い続けた。

 大学卒業後、福祉の世界に飛び込んだ。長野県内の知的障害児の通園施設を経て似島学園高等養護部(広島市南区)で勤務。卒業生から「地域に居場所がない」と聞き、1985年、妻順子さんの古里である旧向原町に無認可の「ひとは作業所」を設立する。障害者が地域の中で忘れられた存在になっている―。そんな危機感を原動力に利用者1人からスタートした。

 地域との接点を求め、まちづくりへの関心を絶やさなかった。障害の有無に関係なく参加できるハイキング大会を住民有志と開き、約800人を集めたこともあった。ディスコやファッションショーなど趣向を凝らした文化イベントを89年から29年間続けた。施設に立ち寄る地元住民が自然と増え、山あいの町はいつしか「共生社会の中心地」となった。行政の施策が住民自治に逆行すると感じると、私の電話を鳴らしては憂えた。「今後のまちづくりはどうなっていくのか」

 尊厳を無視した行為を断じて許さなかった。2000年、障害者の権利を守る民間組織「広島人権擁護センターほっと」の設立に尽力。16年7月、相模原市の知的障害者施設で入所者ら45人が殺傷された事件では、優生思想の危うさを指摘し、交流サイト(SNS)などで警鐘を鳴らした。自身も胎内被爆者で原爆小頭症の被爆者と家族たちでつくる「きのこ会」に携わった。人権を踏みにじる戦争に、全力で「NO」を突き付けた。

 よく口にしたのが「『自生(じおい)文化』の醸成」だ。「わしはわし並みでえかろうがい」―。仲間の一人のつぶやきから着想を得た言葉という。自ら生み出す文化の重要性を説き続けた。他人と比べるのでなく、自分らしく生きるために。

 「ひとは」という名前に、二つの願いを込めた。一つは大樹の葉っぱ一枚一枚に役割があるように、一人一人の役割を認め合える関係を築きたい。二つ目は「ひとはどう生きるか」との問いかけだ。

 誰からも「ぶんしょうさん」と呼ばれ、親しまれた。無認可時代から施設を利用する69歳の仲間は訃報に触れ、「つら過ぎて涙も出ない」と職員に漏らしたという。仲間の心に残したものはとてつもなく大きい。青々とした葉っぱが生い茂る「共生」という名の大樹をしっかりと根付かせて逝った。(山成耕太)

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 寺尾文尚さんは9月27日死去、76歳。

(2022年10月19日朝刊掲載)

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