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連載・特集

[ヒロシマの声 NO NUKES NO WAR] 級友全滅 生き残り苦悩 矢野美耶古(やの・みやこ)さん(91)=広島市西区

≪原爆投下時、広島市立第一高等女学校(市女、現舟入高)の1、2年生541人は、市街地に防火帯を造る作業に当たっていた。現在の平和記念公園の南側で熱線を浴び、全員が死亡。自身は学校を休んでおり難を逃れた。生き残った苦しみと闘いながら証言活動を続ける。≫

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 「来たよ。皆のこと忘れてないよ」。平和大通り沿いの市女の慰霊碑を訪れると、いつもそう語りかけるんです。どんなに熱く、苦しかったか…。碑に刻まれた旧友の名を見て一人一人の顔を思い起こします。

 あの日はおなかを壊し、宇品町(現広島市南区)の家にいました。ピカッと閃光(せんこう)を感じた後、爆風が襲ってきました。日食の時のように急に辺りが暗くなった後、実家の神社に次々と人が運ばれてきては亡くなりました。その後の数日間は、遺体を焼くのを手伝いました。あの臭いは忘れられません。

 苦しかったのはその後です。あの日に作業に出た1、2年生が全員亡くなったと知りました。「生き残り」「サボった非国民」。そう言われました。「うちの子を知りませんか」と聞かれ、私は休んでいたと伝えると、目の前で泣き崩れた遺族もいた。自殺したいと何度も思いました。

 体の不調も続きました。放射線の影響からか腕に紫の斑点が出て、貧血がひどかった。20代後半で上の歯がぽろぽろと抜け、総入れ歯になりました。人目を避け、家に引きこもった時期もありました。

 ロシアが核兵器を使うかもしれない今の状況が悔しく悲しい。プーチンさんに原爆投下後の広島の写真を突き付け「目を覚まして」と言いたい。私の友達のように、骨一つ残せないで死んでいった子がたくさんいる。核兵器はなくさないといけない。核が使われたら、犠牲者も、生き残った人たちも地獄を味わうのです。(聞き手は編集委員・東海右佐衛門直柄)

(2022年10月21日朝刊掲載)

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