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連載・特集

[ヒロシマの声 NO NUKES NO WAR] 弟の無残な死 直視して 被爆者 南口勝(なんこう・まさる)さん(91歳)=広島県府中町

≪広島県立広島第一中学校(現国泰寺高)3年生の時、原爆の熱線に焼かれた2級違いの弟、修さんをみとった。自らは原爆投下時、郊外の軍需工場にいたが、すぐに現広島市南区の自宅に帰り、入市被爆。大学卒業後は広島銀行に勤め、定年後は旧広島証券取引所理事長も務めた。≫

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 もどかしくてならない。ウクライナ情勢は、停戦の動きが見えず、核兵器使用の危険は高まる一方だ。先進7カ国(G7)は軍事、財政面の支援ばかりを言うが、日本はそれでいいのか。原爆が何を引き起こしたか、今こそ声を大にして訴え、ロシアに使用を踏みとどまらせるべきだ。それこそが被爆国の義務であり、多くの原爆犠牲者への責任だと、私は思う。

 弟も無残な死を強いられた一人だ。あの日、私自身は動員先の東洋工業(現マツダ、広島県府中町)で閃光(せんこう)を目撃。逃げ惑う人とすれ違いながら何とか、昼前に自宅へ戻った。「修ちゃんが帰ってきた!」。母が叫んだのは昼2時過ぎ。見知らぬ男性が、自転車の荷台に弟を乗せてきてくれたのだ。

 私には弟とは分からなかった。顔は真っ赤に腫れ上がり、制服も焼け、パンツ姿。手には革ベルトを握りしめていた。両親からの入学祝いだったと思う。

 弟はその夕、私と母の前で息を引き取った。最期に手旗信号のような腕の動きをしたのは「さようなら」ではなかったか。ものも言えずに逝ったのはふびんだが、うちはまだ恵まれている。遺骨が見つかっていない犠牲者も多いのだから。

 形見のベルトは2004年、原爆資料館(中区)に寄贈した。来年5月のG7広島サミットでは、ただの一度も広島市民に謝っていない米国の大統領をはじめ、首脳たちに展示と向き合ってほしい。プーチン大統領、あなたにも見に来てほしいです。(聞き手は編集委員・田中美千子)

(2022年10月24日朝刊掲載)

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