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被服支廠 陸軍技師設計か 広島県が調査結果公表 国重文・旧近衛師団司令部庁舎手がけた田村氏

屋根瓦は今治産

 広島市南区にある最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」でこれまで不明とされていた設計者が、国重要文化財の旧近衛師団司令部庁舎(東京)などを手がけた陸軍技師の田村鎮(やすし)氏(1878~1942年)と考えられることが分かった。広島県が24日に庁内で開いた検討会議で報告した。県は被服支廠の国重文指定に向けて重要な材料になるとみている。(河野揚)

 県の担当者が防衛省防衛研究所(東京)が所蔵する陸軍の決裁文書を調べたところ、被服支廠建設の主務課員として「田村」の印が押してあった。同時期に数多くの軍関連施設を手がけ、当時は陸軍省経理局建築課に在籍した田村氏の設計と考えられるという。

 田村氏は東京帝国大工科大(現東京大工学部)建築学科を卒業し、陸軍省に入省。のちに東京国立近代美術館工芸館として使われた近衛師団司令部庁舎や所沢飛行場飛行船庫(埼玉県所沢市)などを設計した。

 また、被服支廠の屋根瓦は愛媛県今治市産の「菊間瓦」と判明した。瓦に「菊」の刻印があり、県は同市の菊間町窯業協同組合を調査。被服支廠が完成する2年前の1911年の日誌に瓦の出荷記録が載っていた。屋根は大規模な改修が確認されておらず、瓦の大半は建設当時のままとみられるという。

 県はこの日、検討会議に耐震工事の工法案を提示。瓦は強度のある約1割を残し県所有の3棟のうち3号棟に集約する。他は新品にふき替える。原爆の熱風で一部が曲がった鉄扉は全体の17%が著しく腐食しているため、取り外して建物内部で保管する。損傷の少ない扉は安全対策のためネットで保護して残す。

 検討会議は、工法案を了承した。建築史が専門で会長の後藤治・工学院大理事長は「陸軍技師の大物である田村氏が関わったというだけで価値が高くなる。国重文指定がかなり視野に入った」と述べた。

(2022年10月25日朝刊掲載)

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