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社説・コラム

『記者縦横』 半世紀ぶり音色 胸熱く

■報道センター文化担当 西村文

 「定(さだむ)さんがいなかったら、今の広響はなかった」「定さんはバイオリンの名器を弾いていた」…。

 広島交響楽団の歴史をたどる文化面の連載「プロ化50年 広響ものがたり」の取材中、何度もその名前を聞いた。広響の初代理事長だった高橋定さん(1906~69年)。医師でアマチュアのバイオリン奏者だったという。知られざる人物像を探ろうと取材を進めたが、当初は遺族の所在もつかめなかった。

 2月に掲載した第1部では、草創期を支えた定さんたちの情熱と苦労を元団員の証言を基につづった。遺族が記事を読んで名乗り出てくれたら―と願いつつ。諦めかけていた半年後、養子に当たる高橋勇さん(54)から連絡が。広島市中区の自宅には数々の遺品が大切に保管されていた。19日と22日の紙面で紹介した。

 目を引いたのは、オーケストラの一員として演奏する定さんを捉えた白黒写真。裏には51年と書かれていた。陸軍軍医として南方戦線に赴き、焦土の広島に復員して6年後。バイオリンを構える定さんの表情は喜びに輝く。背景に写る満員の聴衆も、同じ思いだったに違いない。

 名工・菅沼源太郎作のバイオリンも残っていた。広響コンサートマスターの蔵川瑠美さんが急きょ駆け付け、試奏した。半世紀ぶりの音色に、胸が熱くなった。連載の第4部は11月中旬から「未来につなぐ」をテーマに掲載する。先人が築き上げた広響の今後を見つめたい。

(2022年10月28日朝刊掲載)

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