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[ヒロシマの声 NO NUKES NO WAR] 遺体焼いた惨状 二度と 人間の感覚なくなった 大内塗職人、被爆者 小笠原貞雄(おがさわら・さだお)さん(95)=山口市

 ≪原爆投下後、救護所となった勤務先の「陸軍被服支廠(ししょう)」(現広島市南区)で、犠牲者の遺体を焼き続ける体験をした。戦後、山口県の伝統工芸品、大内塗の職人に。柔らかな表情でほほ笑む大内人形を「平和の象徴」と捉え、筆に追悼の念を込めている。≫

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 ウクライナのニュースをテレビで見ると、被爆当時を思い出してチャンネルを替える時がある。言い表せない惨状だった。

 8月6日は三次町(三次市)に出張中で、翌7日早朝に広島市に入った。爆心地近くの相生橋はうねり、白神社前には内臓が飛び出た馬と人間が倒れていた。道ばたで「助けて下さい」と何人もの負傷者に体をつかまれ、その感覚が今も残る。昼過ぎに同じ場所へ行くと、みんな亡くなっていた。

 救護所となった被服支廠は日に日に死者が増え、白い壁はハエで真っ黒になった。建物の外で一度に30人くらいの遺体を投げ入れ、油をかけて火を付けた。子どもや妊婦もいた。骨はスコップで砕き近くのハス池に捨てた。人間の感覚はなくなった。申し訳ないことをした。名前の分かった人は爪と髪の毛を封筒に入れ、壁に張ったが、私がいた13日まで誰一人取りに来なかったと思う。

 戦後、生きるために遠縁の大内塗職人を頼り、弟子入りした。厳しい世界だが周りの支えで続け、平和な人形作りに携われた。誰かによくすれば誰かがよくしてくれる。逆に悪いことをしたら必ず回ってくるとロシアのプーチン大統領に言いたい。戦争という歴史の負の連鎖を止めてほしい。

 平和記念公園(中区)に行くと、まず原爆供養塔に手を合わせる。自分が捨てた骨が納められているかもしれないと思って。こんな経験はもう誰にもさせたくない。核兵器が使われたら最後。優しくほほ笑みかける大内人形を作りながら、一日も早く事態が収束するよう祈るばかりだ。(聞き手は山下美波)

(2022年11月7日朝刊掲載)

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