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NZ日本人捕虜収容所銃撃 元護衛兵手記 事件80年へ翻訳広めたい 広島の縫部さん 夫の遺志継ぐ手段探る

 太平洋戦争のさなかの1943年、ニュージーランド(NZ)の捕虜収容所で日本人捕虜が銃撃される事件があった。この「フェザーストン事件」について後につづった元護衛兵の手記を、広島大名誉教授だった縫部義憲さん(2019年に74歳で死去)が入手して翻訳。出版を目指していた。日本では知る人も少ない事件だが、80年の節目を前に妻の美千恵さん(74)=広島市南区=は遺志を継ぎ、世に出す手段を模索している。

 NZの首都ウェリントン近郊にあった同収容所には、ガダルカナルの戦いなどで捕らえられた旧日本軍捕虜が収容されていた。1941年に当時の東条英機陸相が発した「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱めを受けず」に従って捕虜になったことを恥じ、多くは偽名を名乗った。収容所での軽作業も「利敵行為に当たる」と非協力的だったようだ。

 事件が起きたのは43年2月。収容所側が割り当てた作業を捕虜たちが拒否。護衛兵の威嚇発砲をきっかけに騒然となり、銃撃で捕虜ら約50人が死亡、100人近くが負傷したとされる。

 手記は当時護衛兵だったジョン・A・グレイグさん(故人)が86年に書いたものとみられる。英文タイプで50ページ余りにわたり収容所の日常や捕虜との交流、目撃した事件の様子が記録され、臨場感がある。

 縫部さんが手記と出合ったのは90年。研究でNZに1年滞在した際、現地の日本大使館員から「知人の原稿だ」と託された。しかしその後も仕事に追われ、手記を読んで面白さに気付いたのは08年、大学を定年退職してからだった。

 関連資料に当たりながら少しずつ翻訳を進めた。出版を考えていたのだろう。翻訳原稿に「訳者まえがき」を付けている。そこでは、事件の詳細や「戦陣訓」の不条理がNZの一護衛兵の視点で記されている点を評価している。

 病床で校正を続けていたという。だが、出版許可を得ようにもグレイグさんの遺族を捜し出せないまま、道半ばで亡くなった。

 オーストラリア東部カウラの捕虜収容所で44年に起きた同様の事件は日本でも知られているが、「フェザーストン事件は関係者も亡くなり忘れられてしまう」と美千恵さん。「手記や夫による翻訳が埋もれてしまうことなく読み継がれ、歴史の教訓を未来に生かす役に立ってほしい」と話す。(森田裕美)

(2022年11月7日朝刊掲載)

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