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連載・特集

緑地帯 野木京子 詩という友達と私⑦

 先日「私の好きな詩と詩人」というテーマで月刊詩誌からエッセーを依頼された。好きな詩人はたくさんいる。順々に思い浮かべたあと、原民喜について書き始めた。ウクライナで戦争が始まってから、民喜の生涯と作品を幾度も思い出していたからだ。

 そのエッセーで、民喜が被爆後、野宿しつつ手帳に記録した「原爆被災時のノート」にも触れた。民喜の甥(おい)の原時彦さんに原家の疎開先まで案内していただいたとき、思いがけずその小さな手帳を見せてもらったことも、忘れられない大切な思い出だ。

 千葉県立中央図書館まで民喜研究者の竹原陽子さんと行き、民喜の自筆原稿「千葉海岸の詩」を一緒に閲覧したことも、書きながら懐かしく思い出した。そのあと、千葉市在住の、作家で翻訳家の中田耕治先生にもお目にかかったのだ。中田先生は戦後最年少の批評家として「近代文学」で活躍され、「三田文学」の編集長だった原民喜にも幾度も会われた。編集室があった神保町の能楽書林の当時の写真を竹原さんがお見せすると「懐かしい」と絞り出すようなお声を出され、「東京での原さんを知っているのは、もう僕しか残っていないだろうね」とおっしゃった。佐々木基一宅での民喜のお葬式の話もしてくださった。

 中田先生は私が若い頃の恩師だ。文学に向かう姿勢の厳しさを教わった。昨年11月先生のお誕生会があったが、用事があり行けなかった。来年は必ず出席しようと思ったのに、その20日ほど後に急逝された。来年という機会が二度と巡りこないことがあるのを思い知らされた。(詩人=横浜市)

(2022年11月9日朝刊掲載)

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