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連載・特集

緑地帯 野木京子 詩という友達と私⑧

 一番上の兄は私より10歳上で、私が小学生のときに向こうはもう大人だった。兄は学生のときから鉄道オタクだ。機械が得意で、スピーカーとアンプが手作りのステレオセットを持っていた。兄のおかげで私は10歳頃、初めてステレオでレコードを聴いた。

 「いいものを聴かせてやろう」。重厚なヘッドホンを頭に乗せられた。やがて右耳の遠いところから何かがシュッシュッと近づいてくる。その音はどんどん大きくなる。蒸気機関車だ。いま目の前をすさまじい音で通りすぎた! そして走り去り、左耳の遠いどこかへと消えていった。私の初めてのステレオ体験はクラシックでもジャズでもなく、機関車のレコードだ。左耳の奥に消えた機関車を追いかけていきたいと思った。

 そういう体験があるからか、「美しい機関車を追いかけるように次の詩集に向かっていく」という言葉を、もう私には詩が書けないと心細くなったとき、ずっと支えにしてきた。これは詩人の吉増剛造さんの言葉。とはいえ、うろ覚えだ。吉増さんが昔、小沢書店という版元から出した散文集4冊が私の宝物で、そのどこかで読んだはずと思い、読み返したが見つからない。記憶の引き出しからの引用で、申し訳ないです。

 詩はいつまでたっても上手にならないし、一行も書けなくなることなんてしょっちゅうだ。でも、まだ見ない美しい機関車を追いかけるような心で、次の詩へ、次の詩集へと歩き続けたら、まだ出会っていない私の次の詩が、未来の曲がり角の向こう側で待ってくれているような気がする。(詩人=横浜市)=おわり

(2022年11月10日朝刊掲載)

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