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似島の記憶を受け継ぐ 第1次大戦のドイツ人捕虜パーペさん 比治山陸軍墓地で追悼式

 第1次世界大戦中に捕虜として似島(広島市南区)の収容所で過ごし、1918年に市内の病院で亡くなったドイツ人オットー・パーペさんの追悼式が12日、南区の比治山陸軍墓地で営まれた。日本とドイツの交流史を研究する広島経済大の竹林栄治准教授が企画。同じ大戦中に大分市の捕虜収容所で病死したドイツ兵の子孫も駆け付けた。

 パーぺさんは、ドイツ領だった中国・青島の発電所に勤めていた14年に招集され、現地で旧日本軍と戦った。捕虜となり大阪から似島へ移送された翌18年、33歳で死去。名前を刻んだ墓が陸軍墓地にある。

 追悼式は、広島経済大の学生たち約30人が参加した。やはり旧日本軍の捕虜だった曽祖父の弟を大分市で亡くした在日ドイツ大使館(東京)の駐在武官、カルステン・キーゼヴェッターさん(57)が墓前に花を手向け、敬礼。「パーぺさんも最後に故郷の地を踏めなかったが、広島の皆さんが丁寧に弔ってくれた」と感謝した。

 似島にはドイツ人捕虜たち約550人が収容され、洋菓子製造ユーハイム(神戸市)の創業者カール・ユーハイムもいた。この日は、同社社員も墓前にバウムクーヘンを供えた。

 追悼式は長年開かれていなかったという。竹林准教授は「過去を記憶し、思い起こすことが、平和の尊さを知ることにつながる」と話している。(衣川圭)

(2022年11月13日朝刊掲載)

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