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社説・コラム

寄稿 アメリカで「ヒロシマ」を展示する 土田ヒロミ 国際芸術祭「カーネギー・インターナショナル」 参加報告

「悲劇の共有」 立場超え

被爆資料の写真 変化していた反応

 アメリカ・ピッツバーグのカーネギー美術館で「第58回カーネギー・インターナショナル」が9月24日に開幕した。「ベネチア・ビエンナーレ」に比肩する1896年設立の北米で最も長い歴史を有し、カーネギー美術館を中心に市内各所にて展開する国際芸術祭である。絵画、立体、写真、インスタレーション、パフォーマンスなど現代アートのあらゆるジャンルを包括し、参加アーティストは約150組、開催期間は来年の4月2日までと長期にわたる。

 今回のテーマは「Is it morning for you yet?」(もう夜が明けたかい)。一見寓話(ぐうわ)的だが、現代における戦争、帝国主義、破壊や侵略、差別、貧困、暴力、南北問題などを、今日的視点で地政学的に直視した作品群となっている。

 その中で、私の「ヒロシマ・コレクション」(原爆資料館の被爆資料の写真)が、この美術館の象徴的な空間である「彫刻ホール」に大判プリント(118・9センチ×84・1センチ)の27点が展示されている。本展キュレーターであるライアン・イノウエ氏が「展覧会の心臓部」と表現したように、この空間はカーネギー・インターナショナルにおけるハイライトであり「ヒロシマ・コレクション」は本展において重要な役割を担っているといえる。「ヒロシマ」がアメリカの権威ある国際展の中心に展示されたことは、画期的といえるのではないか。

 1995年、スミソニアン航空宇宙博物館(ワシントン)での広島・長崎の被爆資料の展示が中止された。今回の出品オファーの連絡をいただいたとき、同様のことが起こりうるのではと危惧した。被爆50年を機にスミソニアンの館長マーティン・ハーウィット氏が広島・長崎の被爆資料や被爆直後を捉えた写真を原爆投下機エノラ・ゲイなどとともに展示を企画した。しかし、退役軍人団体などや議会の保守派の大規模な反対運動で内容に大幅な変更が加えられ、館長の辞任にまで至った。

 今回の大規模な「ヒロシマ・コレクション」の展示によって、スミソニアンで起きた同じ反発感情が湧き上がる恐れを私はひそかに案じていたのである。しかし、現地でのオープニングに参加し、そこで多数の関係者やアーティストの反応から、そのような危惧どころかむしろ、展示を称賛する声を多数かけられ、また、一般来場者に尋ねると「二度と起きてはならないこと」「自分自身にも起こりえる悲劇」「力強い表現だ」という感想を発する人が多かった。

 被爆77年という、世代をまたぐ時間の要因―太平洋戦争の退役軍人が鬼籍に至った状況―が、加害者、被害者という立場を超えて悲劇の共有を可能にしているのだろうか。また、この「悲劇の共有」は、現在のウクライナ危機や北朝鮮の状況が強く影響しているともいえるだろう。

 今回の「カーネギー・インターナショナル」のディレクターのソフラブ・モヘビ氏は、現在の世界の政治状況と触発する恐れのあるテーマを選び意欲的に展開している。「ヒロシマ」の選択も恐らく意識的なものであっただろう。

 国や地域によって大きく異なる文化や歴史観を国際展という場で提示するのは容易ではない。また、それらの表現は、必ずしもアメリカという国や政府の方針と一致するものではない。一貫しているのは、反平和的な行為への抵抗の表明であり、各国のアーティストの意志を尊重しながら国際展という舞台でそれらを具現化していくキュレーター・チームの姿勢には感銘を受けた。

 今回の「カーネギー・インターナショナル」出品においてもうひとつ特筆すべきことは、私の「ヒロシマ・コレクション」は1982年に最初に撮影されたシリーズであるが、それが2022年の今「現代美術」としてアメリカにおいて扱われていることである。

 このことは「写真」の持つ記録性と表現の問題、それらがアートの文脈の中でいかに扱われてきたかという変遷の歴史をおのずと表出させる。

 美術界における「写真」の概念はこの数十年間で大きく変化している。あえて自己表現をそぎ落とし意図的に記録に徹する方法論を選んだ「ヒロシマ・コレクション」は、1990年代においてもなお日本の美術館では「単なるモノクロの記録写真」と見なされることも少なくなかった。

 一方、国外においては、40年前の発表当初から各地にて発表する機会を多数得てきた。オタワ(カナダ)、グラーツ(オーストリア)、アントワープ(ベルギー)、ロッテルダム(オランダ)、パリ、ロンドン、国内では2000年に入ってからようやく東京、横浜、福井などで発表してきた。そして今回のアメリカ・ピッツバーグ。

 しかし、いまだに広島の地でこれらを展示する機会がないのは、実に残念である。被爆80年の節目が近づき、被爆者の世代交代が進んでいる。資料の寄贈者や関係者はもちろん、広島に住む皆さんにぜひ見ていただけることを心から願うばかりである。

つちだ・ひろみ
 1939年福井県生まれ。福井大工学部、東京綜合写真専門学校卒。71年、ポーラ化粧品を退社し、独立。2008年、土門拳賞を受賞した。写真集に「ヒロシマ・コレクション」「ヒロシマ・モニュメント」「砂を数える」「俗神」など。

(2022年11月12日朝刊掲載)

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