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連載・特集

緑地帯 中島国彦 漱石と三重吉③

 「猫の家」と呼ばれる駒込千駄木町の漱石の家を、先輩の中川芳太郎と一緒に訪ねたのは、1906(明治39)年9月15日のことである。教室で漱石の講義は聞いていたものの、親しく話したのはこのときが最初である。加計正文への手紙で、その時のことを報告し、夜の9時ごろまでいたと書き送っている。漱石も加計への手紙に、「鈴木は蛸壺(たこつぼ)をさげて来てくれた、遠路定めし重い事と察せられる」と書いている。三重吉は広島からは名物の柿を送って喜ばれていたが、このときは「蛸壺」というのは、いかにも三重吉らしい。

 三重吉は上京の車中で神戸から相場師と思える風体の男と隣り合わせになったが、国府津(こうづ)を過ぎて文科の学生だと男にも知られ、こちらもその男が文科大学の名物教授井上哲次郎だとわかって驚いたという話がある。「三四郎」の冒頭に描かれた、三四郎と広田先生の出会いのようなエピソードだ。加計あての手紙に書かれている話だが、三重吉は漱石にも話したのだろうか。10月には、三重吉は漱石に面会日を木曜日に決めることを提案、11日に最初の「木曜会」が開かれることになる。寺田寅彦、森田草平につぐ世代の門下生として、三重吉の存在が際立ってくる。

 前年10月27日に、学業を中途でやめ、家督を継ぐことになって帰郷した加計正文の頼みを聞いて、漱石は蝋管(ろうかん)に声を吹き込んでいた。今は再生不能だが、こうした教え子たちの振る舞いを受け入れ、暖かく見守っていたのも、この頃の漱石だった。 (早稲田大名誉教授=東京都)

(2022年11月15日朝刊掲載)

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