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「あの日」の広島 残した写真記者 本社 松重さんを漫画化 戦前カメラ 作画に現実感

収集家の菅原さん 豊富な知識 表現支える

 原爆投下当日の広島を撮影した元中国新聞社カメラマン松重美人(よしと)さん(2005年に92歳で死去)を描いた漫画「涙で曇ったファインダー」を中国新聞社が制作した。創刊130周年に合わせて企画した。(奥田美奈子)

 中国軍管区司令部報道班員でもあった松重さんは原爆が落とされてすぐ、カメラを携え、広島市翠町(現南区)の自宅から市中心部へ向かった。近くの御幸橋などで撮った5枚は、被爆当日の惨状を伝える貴重な資料として知られる。

 後世に伝えるため撮らなければと思う一方、あまりのむごさにシャッターを押せない―。そんな松重さんの葛藤にも迫り、広島市安佐南区の漫画家くぼなおこさんが17ページの物語を優しいタッチで描いている。

 今夏公開した「声の新聞 力の限り」に続く2作目。全4作品を制作し、年内に発行する冊子「まんが 被爆地の新聞社」に収録する。

 漫画「涙で曇ったファインダー」の作画には、広島市西区に住むカメラ収集家の菅原博さん(83)が協力した。松重美人さんが携えた国産の蛇腹カメラ「マミヤシックス」。戦前製造の同カメラを所蔵する菅原さんは、豊富な専門知識で詳細な作画表現を支えた。

 マミヤシックスは1940年発売開始。戦前はボディー前部のファインダーの形状や数に特徴があり、戦後のシリーズとは違っていた。フィルム面を前後に移動させてピントを合わせる独自のバックフォーカス機構を採用し、「使いやすく鮮明な写真が撮れた」と菅原さん。所蔵するマミヤシックスは高さ11センチ、幅14・5センチ、重さ750グラム。コンパクトかつ丈夫で持ち運びに適していた。

 松重さんは当時の撮影ネガを終戦間もない頃に現像して保管する一方、愛用のカメラは買い替えのため手放した。2台目となった戦後製造のマミヤシックスは原爆資料館(中区)に寄贈されている。

 中国新聞社は今回の漫画化に当たり、昭和期のカメラなど約3500台を所蔵し、著作もある菅原さんに協力を依頼した。作者のくぼなおこさんも「作品のリアリティーを高めることができた。当時の雰囲気をより鮮明に感じてもらえる」と話す。

 広島市重要有形文化財に指定された松重さんのネガ5点。その写真を展示する中区の中国新聞社1階ロビーに、菅原さんのカメラも近く加わる。6歳の時、原子雲を現安芸高田市から目撃した菅原さんは「懸命にシャッターを切った松重さんの思いをカメラからも感じ取ってほしい」と願う。 (渡辺敬子)

(2022年11月15日朝刊掲載)

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