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連載・特集

[ヒロシマの声 NO NUKES NO WAR] 命の調べ 為政者の心へ 市民団体代表 二口とみゑさん(73)=横浜市神奈川区

 ≪米国から海を渡り、広島の原爆で傷ついたピアノが広島市中区の被爆建物レストハウスで展示されている。元の持ち主は19歳で被爆死した河本明子さん。市民団体「HOPEプロジェクト」で受け継いだ時、ピアノの側面には爆風によるガラスの破片が刺さったままだった。明子さんの物語を伝えようと、被爆60年の2005年から国内外でコンサートを開いている。≫

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 私が明子さんのピアノと出合ったのは1980年代。広島に住んでいた時にご両親と近所付き合いがあったご縁です。ご両親は生前、多くを語りませんでした。しかし明子さんが残した21冊の日記を読むと、等身大の胸の内が浮かびます。そして父親の源吉さんが残した50冊余りの日記や育児日誌には、明子さんの身長、体重だけでなく、初めて大声で笑った日、話した言葉まで細かく記録されています。

 大切に育てた娘を一瞬で奪われ、自らの手で荼毘(だび)に付した親の悲しみはいかばかりだったでしょう。子の立場、親の立場で自分ごととして受け止めたとき、その音色は人々の心に届くのだと思います。ロシアのプーチン大統領にこの音色は、どんなふうに聞こえるでしょう。

 ピアノは全国の小中学校や公民館を巡って演奏され、平和学習に役立てられています。13年に広島市出身で被爆3世の萩原麻未さんが演奏したのを機に、マルタ・アルゲリッチさんや故ピーター・ゼルキンさんたち世界的なピアニストも奏でました。

 20年には気鋭の作曲家藤倉大さんが書き下ろしたピアノ協奏曲第4番「Akiko’s Piano」が広島交響楽団によって初演され、今も海外の交響楽団が演奏を企画しています。

 自分の命を奪ったものが原爆だと最期まで知らなかった明子さんのように、戦争に命を奪われた子どもたちは世界中にいるはずです。来年5月に広島市である先進7カ国首脳会議(G7サミット)でも、各国の為政者たちにピアノの調べを聞いてほしい。それが私の夢です。(聞き手は加納亜弥)

(2022年11月16日朝刊掲載)

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