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連載・特集

緑地帯 中島国彦 漱石と三重吉④

 復学して学生生活を始めた三重吉は、次の小説「山彦(やまびこ)」を執筆する。上京する直前の夏に、三重吉は、友人加計正文の生家にしばらく滞在した。山間の光景はことのほか気に入り、そこから作品世界がつむがれていったのである。「城下見に行(ゆ)こ十三里」という小唄から始まり、秘められた女の恋心が、山の自然にこだまする。

 「山彦」が木曜会で朗読されたのは12月6日、最初三重吉が読んだが次第に興奮してしまい、高浜虚子が引き継いで読んだという。翌々日の「国民新聞」にその折の様子が報じられ、漱石が、「全体に於(お)いてオーナメンタル[装飾的]」で、「さうさモザイツク風かな」と評したと書かれている。三重吉は、「花魁(おいらん)憂ひ式ですがね」、「百年も経(た)つた裲襠(うちかけ)を見る感を与へ得れば夫(そ)れで可(い)いんです」と弁解する。あくまでも、美的世界の建立が主眼だというのである。

 漱石は、すぐ後の10日から、「野分」を執筆する。三重吉にも、10月26日に長い手紙を書き、美的世界を追い求めるのではなく、「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神で文学をやつてみたい」と書き送った。三重吉に好意を持ちながらも、それだけではいけないとさとしたのである。

 三重吉が6日間滞在したのは、町外れにある加計家の別邸「吉水(よしみず)園」で、江戸時代中期から伝わる瀟洒(しょうしゃ)な庭園もある名勝だ。県の天然記念物モリアオガエルも棲(す)むというこの別邸は、春と秋に公開され、入り口には「山彦」の文言を刻んだ文学碑が1957年に建てられている。 (早稲田大名誉教授=東京都)

(2022年11月16日朝刊掲載)

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