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核密約の伝達は「秘密の義務」 村田元外務次官

 1987年から1989年まで、外務事務次官を務めた村田良平氏(79)は29日、日本への米軍核搭載艦船の立ち寄りを日米安全保障条約上の「事前協議」の対象外とした核持ち込みの密約に関して、外務省内に文書があり歴代次官が引き継いできたと共同通信に証言した複数の元次官の1人であることを公表することに同意。次官が外相に密約内容を伝達するのは「秘密の義務」だったと新たに証言した。共同通信の電話取材に答えた。

 村田氏は首相には報告することはなかったとしながらも、時の外相には事実関係を伝えてきたことを明らかにした。さらに、密約問題をめぐり衆院外務委員会が検討する参考人招致について「外務省には今も好意を抱いている。(招致が強制的でなければ)断りたい」とする一方、招致される事態となれば、真相を証言する意向を強く示唆し、国会証言の可能性に含みを持たせた。

 村田氏は今年3月18日、京都市内で共同通信のインタビューに応じ、匿名を条件に、歴代次官による密約の引き継ぎに関する詳細を証言していた。西日本新聞などが今月28日以降、村田氏の証言を実名で報道したことから、実名に切り替えることに同意した。

 村田氏は3月、密約内容を記した文書が外務省内にあることを明らかにし、「次官引き継ぎ時に『核に関しては日米間で(非公開の)了解がある』と前任者から聞き、次の次官に引き継いでいた。大秘密だった。政府は国民にうそをついてきた」などと証言していた。

「引き継ぎなかった」 藪中次官

 外務省の藪中三十二事務次官は29日の記者会見で、村田良平元外務事務次官が日米間の核持ち込みの密約を歴代次官が引き継いでいたと共同通信に実名で証言したことに関し「私自身は、そのような引き継ぎは一切なかった」と、密約の存在をあらためて否定した。

 同時に「何も文書はないことは確認している」と強調し、再調査しない考えを示した。

核持ち込みの密約
 米軍による核兵器の日本への持ち込み(英語のイントロダクション)は本来、1960年改定の日米安全保障条約で定めた「事前協議」の対象だが、核を積んだ米軍の艦船と飛行機の日本への通過・寄港、飛来を対象外とした日米間の秘密合意。安保改定時に日米両政府は、核搭載艦船の通過・寄港などを日本側が黙認する「秘密議事録」を交わし、1963年には大平正芳外相がライシャワー駐日大使に内容を確認した。日本側に事実上の拒否権を付与した事前協議は一度も行われておらず、政府は「事前協議がない限り、通過・寄港も含め持ち込みはない」と主張してきた。

(共同通信配信、2009年6月30日朝刊掲載)

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