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連載・特集

緑地帯 中島国彦 漱石と三重吉⑥

 1908(明治41)年、7月に大学卒業後、父の逝去を体験した三重吉は、10月から千葉県の私立成田中学校に教頭として赴任する。成田山新勝寺ゆかりの中学で、三重吉は教育と小説執筆を両立させようとする。

 10(明治43)年に「国民新聞」に連載した「小鳥の巣」は成田時代の代表作だ。神経衰弱に悩む青年を主人公に、これまでとは違った現実の重みが作中に広がる。連載が終わった時点で、第一高等学校の学生岡田耕三は三重吉に感動を伝える電報を出し、三重吉から、「あなたのためにあの作を書いてゐでもしたやう」と返事をもらっている。岡田は、その後木曜会に出入りするようになる林原耕三だ。三重吉の描く若者の情感が、漱石周辺の次の世代にも伝わっていたのである。

 三重吉は11(明治44)年5月に上京し、私立海城中学校に勤務しながら、新聞や雑誌に短編小説を書き続けた。今でも岩波文庫で読める、もう一つの代表的長編「桑の実」は、13(大正2)年に「国民新聞」に連載したものだ。おくみという娘が、妻と別れた画家の家に住み込みで手伝いに行くところから始まり、家の家族との温かな交流の中で過ごす日常が淡々と語られる。これといった事件は起きず、清澄な日常が流れる。読者は幸福な情感の中で、作品を読み終わるのである。

 しかし、この2作とも、連載は順調ではなかった。休載が多いのは、当時の三重吉の神経衰弱の反映だが、それを乗り越えこうした透明な世界が造形できたことは、三重吉の成長の証しであったろう。(早稲田大名誉教授=東京都)

(2022年11月18日朝刊掲載)

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