×

ニュース

「兵隊さん」の行李 持ち主は 広島の土本さん 下松・笠戸島の実家に戦時中から保管

「本土決戦」と島の関わり 解明望む

 アマチュア映像作家グループ・広島エイト倶楽部(クラブ)の会員土本誠治さん(75)=広島市東区温品=が、下松市笠戸島本浦の実家に眠る軍用行李(こうり)(荷物入れ)の持ち主を捜している。太平洋戦争の末期、実家では「兵隊さん」が寝泊まりしていたと伝わるが、詳細は不明だという。行李の持ち主や所属部隊が分かれば、戦争末期に軍部が唱えた「本土決戦」に笠戸島がどう関わっていたのかを明らかにする手掛かりになり得る。(客員特別編集委員・佐田尾信作)

 行李は木製で長さ67センチ、高さ37センチ、幅44センチ。外側の2カ所に「宮崎県都城市下長飯町1877 田中茂」と墨書されている。実家と郷里を映像で追う土本さんが最近思い立ち、都城市役所に問い合わせるなどしたが、消息はつかめていない。この人物が戦後訪ねてきたり、手紙をよこしたりした形跡もないという。

 戦前から日本石油、日立製作所、笠戸船渠などの工場が操業していた下松は、1945年5月から7月まで6回にわたって米艦載機の空襲を受けている。笠戸島の集落にも余波があり、地元の郷土史家、廣中(ひろなか)勲さん(85)は「グラマンが投下した爆弾の破片で父が腕を負傷したことを覚えています」と証言している。

 笠戸島には「船隠し」と呼ばれる人工の海岸洞窟が複数現存するほか、兵舎の跡地もあり、地元では陸軍船舶部隊(通称暁部隊)の陣地があったと語り継がれている。対岸の周南市櫛ケ浜(現在は徳山ボートレース場)には暁部隊の機動輸送補充隊(揚陸用舟艇の部隊)などが置かれていた。場所は不明だが、45年3月に「洞窟作業」に従事したという記述が機動輸送補充隊の少年兵の日記に見える。

 一方、島には「本土決戦」に備えた海軍の特攻部隊が編成途中で敗戦を迎えた形跡もある。「笠戸突撃隊」または「笠戸嵐部隊」と呼ばれ、敗戦後の米軍への装備引き渡し目録に、特殊潜航艇「海龍」の記述が見える。当時、特殊潜航艇の基地だった呉市倉橋島などでも突撃隊は編成されており、西瀬戸内海一円が日米の戦闘の場と化す寸前だったかもしれない。

 行李の持ち主は陸海軍の別も分からないという。判明すれば、「船隠しの目的など、戦時下の笠戸島の実態を知る手掛かりになるかもしれない。ご本人が健在でなければ縁者に返還したい」と土本さん。島に住む弟で元造船マンの正二さん(73)は「家を解くことはあっても行李は預かっておきます」と話している。土本誠治さん☎080(5610)0801、電子メールseiji-tsuchimoto@kjf.biglobe.ne.jp

(2022年11月21日朝刊掲載)

年別アーカイブ