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連載・特集

緑地帯 中島国彦 漱石と三重吉⑦

 「桑の実」で力を出し切った三重吉は、1914(大正3)年には「現代名作集」の編集出版、翌15年にはこれまでの自分の作品に手を入れた「三重吉全作集」の刊行を始めている。「編集者三重吉」の誕生である。

 「現代名作集」は、同時代の名作を三重吉が独自の視点で選び、自分の家を発行所として、文庫本を少し細くした三五判140ページほどのコンパクトな本として定期刊行したシリーズである。第1編は「須永の話」で、「彼岸過迄」の主要な一章を再録、第2編は森鷗外の「堺事件」で、「堺事件」「安井夫人」を単行本初収録した一冊だ。翌年まで1年間で20冊を独力で刊行したエネルギーは、並大抵ではない。

 15年、32歳だった三重吉は、自作の修訂を試み、「三重吉全作集」として、自費出版を始める。小説家としての区切りをつけたかったのであろう。刊行された13冊は、函(はこ)および表紙の背文字が漱石の筆文字である。何度も試し書きをして仕上げられたといわれるが、漱石も出来うる限り支援したのである。文庫本より少し大きい菊半裁判で函入り、津田青楓(せいふう)の装幀(そうてい)の本も多く、1冊ずつ違った意匠で美しい。全冊を並べると、色の万華鏡だ。定期購読者には、「手紙に代へて」という付録のしおりが添えられて、刊行のたびに送られたようだ。デスマス調で語りかけるような通信は、自作解説にもなっている。その文章は全集でも読めるが、この紙片が入っている本は、珍しい。出来上がった自分の本と一緒に、この紙片を手紙代わりに封筒に入れて読者に送る三重吉の姿は、いかにも慕わしい。 (早稲田大名誉教授=東京都)

(2022年11月22日朝刊掲載)

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