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連載・特集

緑地帯 中島国彦 漱石と三重吉⑧

 1915(大正4)年ごろから童話の執筆を始めていた三重吉は、18(大正7)年7月に雑誌「赤い鳥」を創刊する。「芸術として真価のある純麗な童話と童謡を創作する、最初の運動を起したい」と抱負を述べた。自身も執筆するが、多くの賛同者に執筆を依頼、名作が集まった。その人脈をいかし、新しい動きを生み出したいという意欲がみなぎる。北原白秋と出会い、画家清水良雄と知り合ったのも大きかった。創刊号の印象的な、馬に乗った子どもの絵は、清水が描いた。

 新進作家であった芥川龍之介も、創刊号に「蜘蛛(くも)の糸」を寄稿した。原稿が残っており、わずかだが三重吉の手入れが確認される。「赤い鳥」関係の資料は、三重吉の原稿とともに県立神奈川近代文学館に寄贈され、「鈴木三重吉・赤い鳥文庫目録」が出ている。

 「赤い鳥」に載った作品としては、有島武郎「一房の葡萄(ぶどう)」、新美南吉「ごん狐」、西條八十「かなりや」などがある。三重吉がいたからこそ生まれた作品だ。「赤い鳥」は、全196冊、日本近代文学館から複製が出ており、36(昭和11)年の三重吉の53歳での逝去に際しては、360ページもの追悼号が出ている。近年、「赤い鳥事典」(2018年刊)も整備された。

 広島生まれの三重吉の資料は、現在広島市中央図書館に「三重吉文庫」として整理され、リストも公開されている。漱石からの書簡や署名本も含まれている。三重吉を慕う人々の「鈴木三重吉赤い鳥の会」の活動が続いているのは、うれしい。(早稲田大名誉教授=東京都) =おわり

(2022年11月24日朝刊掲載)

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