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社説・コラム

天風録 『月給四十円』

 世にも珍しい墓碑だろう。生前に用意した碑銘で自らの給料を明かすとは。本名や出生地などを刻んだ末尾に「月給四十円」。東京都北区の大龍寺(だいりゅうじ)に眠る正岡子規である▲文芸欄などを担当した新聞社から受け取っていた。句誌「ホトトギス」からの収入が別に月10円。明治30年代、教員の初任給は10円前後だったようだ。高給取りになることを前々から妄想していたのか、「意外にも事実となりて現れたり。もって満足すべきなり」と日記に記した▲文明開化や富国策で何もかもが右肩上がりだった明治日本。子規の月給も7年間で3倍近くに増えた。墓碑に記す大台に乗った年は「物価騰貴のため社員すべて増したるなり」。まさに坂の上の雲を目指す時代だった▲翻って今の世はどうだろう。先ごろ発表された国の統計によると、実質賃金は6カ月連続でマイナスとなった。資源高や円安で進む物価の上昇に、賃金の伸びがまるで追いついていない▲長く病の床にあった子規。<鶏頭(けいとう)や糸瓜(へちま)や庵(いお)は貧ならず>。庭のささやかな植物と住まいを同列に詠んでいた。月給四十円の銘は恐らく、笑いを誘うためだったのではないか。心豊かに暮らそう。きょうは勤労感謝の日。

(2022年11月23日朝刊掲載)

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