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連載・特集

[ヒロシマの声 NO NUKES NO WAR] 国超えて思いつながる 福山大教育センター助教 タン・ウォーレンさん(53)=三次市

 ≪戦時中に三次市甲奴町の正願寺(しょうがんじ)から供出され、米国のジミー・カーター元大統領(98)ゆかりのカーターセンター(ジョージア州アトランタ市)にたどり着いた、「平和の鐘」の鐘楼建築に地元住民たちと尽力。10月に現地であった落成記念式典に出席した。オーストラリア出身で、カナダ、香港にも居住。現在は福山市の福山大で学生に英語を教える。≫

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 この静かで平和な甲奴に暮らしていても、今起きている戦争、ウクライナで起きていることを無視することはできない。ロシアのプーチン大統領の非人道的な言動は到底容認できない。

 私の父はマレーシア、母は香港の出身。植民地時代から世界大戦に至るまでアジアでも戦争や内乱が繰り返された。私は祖母たちから、戦火を逃れて母国を後にしたつらい経験を聞いてきたし、それを子や孫に伝えていく。それは被爆者が語り伝えるのと同じだ。

 「ヒロシマ」は地名を超越した意味を持つ。私は幼い頃から、核兵器はあらゆる生き物を殺すと聞かされた。だから毎年8月6日午前8時15分には黙とうし、被爆者に思いをはせる。核の悲惨さを胸に刻み、世界平和の願いを紡いでいく。

 具体的な行動の一つが鐘楼造りだった。十数年前、カーターセンターで台座に展示された平和の鐘を見た。「鐘の音を聞いて人々は仏の教えや日頃の感謝を忘れないようにする。きっと、その音は日米友好につながる。鳴らせる状態にしたい」との思いで、カーター元大統領に手紙を出したのが始まりだった。

 活動を続けるうち、国を超えて人と人がつながっていった。真新しい鐘楼から鐘の音が響き、かつて戦火を交えた日米両国の出席者が喜び合う姿に、多くの人と思いを共有できたと心が震えた。

 今、ウクライナの惨状を「日常」と捉えていないだろうか。決して戦争に慣れてはいけない。この瞬間も苦しんでいる人がいる。それぞれができることはある。行動の種が苗となり、木になり、平和の実を付けるはずだ。(聞き手は千葉教生)

(2022年11月29日朝刊掲載)

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