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被爆留学生 詳細明らかに 中国大陸出身 広島大前身校で学んだ12人

本紙元記者確認 調査の全容 3日に紹介

 1945年8月6日、広島で被爆した中国大陸からの留学生12人の詳細が分かった。日本軍が統治した「満州国」(現中国東北部)などからの留学生で、6人が原爆死。助かった6人のうち、日本に残った朱定裕さんは2019年に97歳で死去しており、健在は南京在住の王大文さん(97)だけになったとみられる。(編集委員・田中美千子)

 12人は広島大の前身、文理科大と高等師範学校で学んでいた。うち8人が満州国出身。残る4人は、日本軍の支配地域に成立した親日政権や内モンゴルの地方政権からの留学生だった。中国新聞元記者の西本雅実さん(66)が、43年作成の両校「外国学生生徒名簿」など埋もれていた史料を確認。関係論文と照らし合わせながら、全員の名前や所属、被爆後の半生を確かめた。

 原爆死した6人は満州国などからの文理科大生3人と高師生2人、内モンゴルからの高師生1人だった。爆心地に近い現在の中区堺町や猫屋町の宿舎、東千田町の校舎、通学途中で被爆したとみられる。

 このうち奈良女子高師を卒業し、44年に文理科大へ入学した満州国出身、張秀英さん=当時(26)=の写真が見つかった。猫屋町の女子寮で被爆したとみられ、遺骨も見つからなかった。

 助かった6人のうち4人は50~52年に相次ぎ帰国し、いずれも大学で教えた。満州国出身の朝鮮族1人は高師卒業の記録が残るが、その後は不明。日本にとどまり埼玉県で家庭を持った朱さんは、90年に広島平和文化センターの被爆者証言ビデオの収録にも応じていた。

 今回調査について、被爆関連資料を研究する宇吹暁(さとる)・元広島女学院大教授(76)は「足元の史料を徹底的に掘り起こし、最も詳しい内容を突き止めた」と評価。「追悼の意味を込め、広島大を中心に留学生の被爆実態を明らかにする努力を今後も続けるべきだ。将来に向け、日中共有の財産になる」と話す。西本さんは3日、原爆資料館(中区)である市民団体の会合で、調査の全容を紹介する。

(2022年12月1日朝刊掲載)

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